小説

□こっそり『ねこ』裏話 〜草壁さんの憂鬱〜
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「面倒だから放っておいたけど、あれ……そろそろどうにかしないとヤバくなってきてるよ」
その様子を小首を傾げながら観察していた雲雀は、ぼそりと呟いた。
「あの子の微熱は発情してるせいでしょ。ほら、今もうるうるしちゃって…。それを本人もわかってないもんだから余計たちが悪いよね。楽になりたくてしょっちゅう唐猫茶を飲んじゃってるみたいだし」
「そ…そうですね。ちょっと唐猫茶の減りが早すぎるというか…」
私は顔をしかめてため息をついた。

唐猫茶はとてもリラックス効果の高いお茶で『ねこ』の体調を整えるのにも良いので、常に補充して切らさないように気をつけているのだが、いかんせん減り具合が早すぎる。

そのお茶をアラウディが頻繁に飲んでしまうのには、理由がある。
彼は唐猫茶を飲むと素直に『甘えた』な気分になってしまい、より甘えるのに適した姿――仔『ねこ』になってしまうのだが、小さな身体になると身体の中に篭った熱が散らされるため、かなり体が楽になるのだ。
しかし、だからといってそれで発情が完全に収まったわけではない。
結局もとの姿に戻れば徐々にまた身体が疼いてしまい、その熱を散らそうとお茶を飲む――という堂々巡りを繰り返して今に至っている。

アラウディはまだまだ未熟で『ねこ』の特殊能力を自由に使うことはできない。
そんな風に唐猫茶の力を借りて強制的に能力を発揮していれば、やがて無理が祟って大変な事態になってしまうかもしれない。

ああ、しかし、だからといって、まだまだ仔『ねこ』で稚いアラウディが、男に押し倒されてあんあん言わされるなど…想像もしたくない!

「仔『ねこ』で稚いって……。あの子は確かに最近小さいときが多いけど、本当の姿はもう立派な成『ねこ』でしょ」
心の中の声が駄々漏れだったらしく、おもいっきり軽蔑しきった冷ややかな視線を雲雀に投げかけられてしまった。うう…情けない。

「パートナーなんかいらないとか、ワガママ言わせたまま甘やかしてるから駄目なんだよ」
雲雀はぺろりと唇を舐めると、にいっと不気味な笑みを浮かべた。
「そもそも『ねこ』なんて『カラダを許すと心も許す』生きものなんだから、イヤイヤ愚図ってるのなんか無視して無理やりにでも押さえつけて、暴れるようなら適度に咬み殺して…。おとなしくなったところで縛り上げでもして、さっさと手篭めにしちゃえばいいのさ。あぁ、小生意気な態度ばかりのあの子の顔が、屈辱と恐怖に歪むのはさぞかし楽しいだろうねぇ…。ふふっ」
――僕が代わりにヤっちゃおうか。
冗談なのか本気なのかわからない台詞を雲雀がぼそっと呟いた。

「ちょ、ちょっと恭さぁぁん! あんまりといえばあんまりなお言葉っ」
「冗談だよ」
と雲雀は涼しい顔をしていたけれど、どこまで冗談なのかわかったものじゃない。
「あぁ、でも泣きじゃくって震えているあの子が無理やり犯されているところ想像したら、ぞくぞくしてきちゃった。ん、ん〜最近甘いのばっかりだから、たまには辛口テイストもいいかも…」
雲雀は頬を上気させながらうっとりとした表情をみせた。
ゆるゆると黒いしっぽが左右に揺れている。

…これはまずい。
雲雀もアラウディの熱にあてられて、発情してきたらしい。

「あの人に『ちょっとだけ鬼畜モードでお願い』っておねだりしようかな」
と言って雲雀はそわそわしだした。すぐにでも白蘭の旦那のところへ飛んでいってしまいそうな勢いだ。
「待ってください恭さん、いくらなんでも今すぐって、即物的すぎますよ! ごはんはどうするんですか、美味しい煮込みハンバーグは!」
「はっ!?」
ぴぃんと雲雀の黒いねこみみが立てられて、彼は夢から覚めたような顔で瞬きを繰り返した。
…よかった。食欲が性欲に勝ったらしい。


「…ハンバーグまだかな。ちょっと催促に行ってくる」
雲雀はおもむろに立ち上がると、リビングを抜けてダイニングのほうへと移動した。
途中で、ソファーの上で膝立ちになって背もたれに隠れながらダイニングを覗き込んでいるアラウディの側をすり抜けざま、馬鹿にしたようにふっと笑っていた。
アラウディがむうっとした顔つきで、雲雀の後ろ姿を睨んでいる。

あの二人は、どうにもこうにもお互い対抗心らしいものがあるようで、事あるごとにたわいも無い衝突をくりかえしている。
もちろん、雲雀はアラウディのことを気遣って色々心を砕いているし、アラウディは雲雀の真似ばかりしたがるほど相手を慕ってはいるのだが…。
お互い素直じゃなくて意地っ張りなので、会えば憎まれ口ばかり叩き合っている状態だ。


私もダイニングに近い、アラウディが陣取っているソファーの隣に移動した。
雲雀は気まぐれに悪ふざけを思いついては事態を引っ掻き回し、悪気も無いためけろっとしていることがある。
先ほどのあの顔は、間違い無く何か仕出かすときの顔だ。
私は『元』とはいえ雲雀の飼い主なのだから、あまりに度が過ぎるようなら止めに入らなくては。


雲雀は食事の準備をてきぱきとこなしている山本の側ににじり寄ると、小首を傾げて思わせぶりな笑みを浮かべた。
まるで甘えるように、山本の服の端をくいくい引っ張ったりもしている。
「ねぇ、あなた何時も一人でごはんの支度してるの? それじゃぁ大変だよね。僕、手伝ってあげる」
それを聞いて、ソファーの背中に齧り付いていたアラウディが弾かれたように身体を起こして伸び上がった。
「ち、違うもん! 僕だってお手伝いくらい、してるんだからねっ。もうちゃんとした『しゃかいじん』なんだから!」
「ふぅん、どうだか。今だってそこで座ってぼ〜っとこっち眺めてるだけじゃない」
「だ、だってこれは彼が…」
殊更馬鹿にしたように言われて、アラウディは真っ赤な顔でふるふる震えていた。

恭さん、むきになる姿が可愛らしいからって、アラウディのことを苛めすぎですよ。

どれ、ここはひとつ……と、腰を浮かしかけた私よりも早く、山本が振り返ってアラウディにニカッと笑いかけた。
「あ〜いやいや、頼むからあんたはそこにいてな? 雲雀、悪いけど厨房は俺一人でやりたいんだ。着物姿で火の元に近づくとあぶねーからな。ガスコンロの五徳に袖を引っ掛けて破いたときは肝が冷えたぜ。火がついているときじゃなくて本当によかったのな」

それを聞いて私はぎょっとした。
着物をどこかに引っ掛けて破いたことは報告を受けていたけれど、まさかそんな危険一歩手前の状態だったとは…。
本当に何事も無くて良かったと私は胸を撫で下ろした。

「なぁに、そんな危ないことになってたの? あなた、その子の飼い主なんだから、もっと気をつけてよね。大事にするっていうから、飼い主にしてあげたのに」
雲雀も事の重大さが解ったのか、途端に眉をひそめて山本を睨みつけた。
さっきまでアラウディを小馬鹿にしたような態度だったくせに、掌を返したかのような豹変ぶりだ。

「ちょっと! 服を引っ掛けたのは僕が悪いんだから、やまもとのせいじゃないよ。ぼ、僕だってこんな動きにくい着物じゃなかったら、そんなヘマしないんだからねっ」
アラウディはソファーを下りてぱたぱたとダイニングに駆け込んでくると、雲雀と山本の間に無理やり身体を滑り込ませて、雲雀を睨み返した。
そして、くりっと後ろを振り返って山本の顔を見上げ、必死になって「ね、お皿並べたり、サラダ盛り付けたりはちゃんと出来てたよね? 僕、役に立ってたよね?」と訴えだした。
山本はにこにこしながらアラウディの髪をくしゃっと撫でて、こくりと頷いた。
「うんうん、そーなのな。でも、慣れない着物じゃ〜やっぱり危ないから、お手伝いはねこみみとしっぽが仕舞えるようになってから頼むなー」
「…うん」
ぐりぐりとねこみみの後ろを撫でてもらって、アラウディはうっとりしたように瞳を閉じていた。

山本はそのまま掌を滑らせてアラウディの頬をそっと撫でたが、そのとき「あれっ?」と首を捻った。
「あんた、頬熱いぞ。また熱が出てんのかな?」
「え?」
アラウディはきょとんとして瞳を幾度か瞬かせた。

…あ、これはまずい。
興奮したのと、山本にぺったり引っ付いたのとで…身体に熱が篭り出したらしい。

「山本さん、そういえば今朝少し冷え込んだと言っておられましたよね。きっと軽い風邪をお召しになったのでは?」
私は慌てて彼等に向かって大声を張り上げた。
アラウディが『発情』しているだなんて、そんな事実を知られてなるものか!

「あー、そうかも。今朝ちょっと寒かったもんな? それで熱っぽくなっちゃったのかな。あんたの足先、すっごく冷たくてびっくりしたもんなぁ」
山本は素直に私の言うことを信じたようだ。
心配そうにアラウディの瞳を覗きこむと、そのまま彼の身体をひょいっと横抱きに抱き上げた。
「ひゃん!」
アラウディはびっくりしたのか小さな声を上げていたが、特に暴れたりはせずにそのままぎゅっと山本の首根っこにしがみついた。

「雲雀、草壁さん。ちょっとアラウディをベッドに寝かせてくるんで、すいませんけどご飯少しだけ待ってもらえますか?」
「ええ? あとはお皿によそうだけだろう? 勝手にするから、先に食べるよ」
雲雀はむうっと口を尖らせて宣言した。
ここでお伺いを立てるのではなく、宣言するのがなんとも彼らしい。

「あーいいぜ。じゃ、あとは適当に任せるな」
山本はほっとしたような表情で、アラウディを抱きしめなおすとダイニングを足早に出て行こうとした。
すると、彼の腕の中のアラウディがもぞもぞと身じろぎして鍋のほうをちらりと見た。
「ちょっと、僕、ご飯どうするの? おなか空いてるのに…」
「うん? 後で部屋に持ってくから、ベッドで食べような」
「そんなの、お行儀悪い…」
「今日は特別、な?」
山本にそう言われて、アラウディはちょっと考えるようなそぶりをしながら口を開いた。
「…しょ、しょうがないね。きみがそう言うなら、特別に許してあげる」

表面上はいかにもしぶしぶという感じのアラウディの声が聞こえて、私は思わず笑みを漏らしてしまった。
なんとも分かり易くて可愛らしい方だ。
彼にしがみつきながら、アラウディはほんの少し勝ち誇ったような表情で雲雀のほうをちらりと見ていた。
…山本が自分を優先したのが嬉しいらしい。

尤も、雲雀は煮込みハンバーグの入った寸胴鍋の中を覗き込むのに夢中で、アラウディには全く注意を払っていなかったが。

恭さん、あまりにも食いしん坊すぎますよ…。
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