小説

□こっそり『ねこ』裏話 〜離れていくなら近寄らないで〜
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ある日先生は「よーしよし、いい子だな」と僕の頭をぽんぽん撫でると、「たまには外の空気も吸ったほうがいいからなぁ」と言うと、ほんの僅かな時間だけれど皆に内緒で僕を外に連れ出してくれた。
いつも窓からしか見たことの無い風景が目の前に広がっていて、僕はもう嬉しくてたまらなくなって先生の腕から身を乗り出した。
「おっ、なかなかいい反応じゃねーか。これからもちょっとずつでいいから外出メニューを組んでみるか」
先生はご満悦で、僕を抱っこしたまま芝生の上に寝転んだ。
「お前さん、地面には下りるなよー。俺の腹の上でおとなしくしてろ」
そう言われてねこみみの後ろや顎をくすぐってもらって、僕はいつになく舞い上がっていたに違いない。

「…ねぇ」
軽く目を瞑っている先生の顔をじっと見つめながらゆさゆさと軽く胸を押すと、先生は片目を薄く開けて「んー? どうした? お前さんが口をきくなんて珍しいな。いつもはだんまりの恥ずかしがりやさんなのになぁ」と言って、ぽんと頭を撫でたあとに頬を触ってくれた。
その優しい仕草に助けられて、恐る恐る口を開く。
「…あのね、…………に…なって」
「ああ? なんだって?」
先生は欠伸をしながら耳に手を持っていった。どうやら僕の声が小さすぎて聞こえなかったみたいだ。


「おねがい、ぼくの『かいぬし』に…なって?」


きっと先生なら二つ返事で『おー、いいぜ』と笑ってくれると思っていた。
そして僕を肩車してくれて、もっとたくさんお外に連れ出してくれるだろうと、勝手な夢を見ていた。

ところが先生は長いこと黙ったままで目を瞑っていて、僕は段々不安になってきた。
先生はそんな僕の気配を察したのか、軽くため息をついて僕の頭をぽんぽん叩いた。
「……う〜ん、まぁ、考えておく」
そう歯切れの悪い返事をすると、先生はよいしょっと立ち上がった。
それから僕を肩車して帰りがてら、沢山の花が咲き乱れる花壇の前でこう言った。
「ほら、綺麗だろう。お前さんがもうちょっと丈夫になったら、ここで思い切り遊ぶといいぞ。お前さんはいい子だから、すぐに元気になれるさ」
それっきり先生は僕の発言は忘れたかのように、全然関係ないことを喋りながら部屋へと戻った。

「せんせい…」
僕がベッドの中から見上げると、先生はもう一度「いい子だな、お前さんは」と言って、ねこみみの後ろを撫でてから、ゆっくり部屋を出て行った。

結局その後、僕は微熱を出して延々と寝込んでしまい、先生にお外に連れて行ってもらったのは、後にも先にもそれ一度きりになってしまった。







やっと熱が下がって少し楽になった頃、どうしても先生に会いたくて、僕は一人でこっそりと部屋を抜け出した。
先生は何度か様子を見に来てくれて、うなされる僕の額を触ってくれたような気がするけれど、意識がはっきりしてからは先生の顔を見ていなかった。

他のひとに見つからないように隠れながら探していると、ちょうど廊下の向こうから先生が歩いてくるのが見えた。
お仕事が忙しかったのか、先生は無精ひげをぽつぽつ生やしてくたびれた顔つきで、欠伸をしながら目を擦っている。

いつものせんせいだ。

嬉しくなって先生に飛びつこうとしたその時、横手のドアが開いて一人の女性が顔を出したので、僕は慌てて柱の影に引っ込んだ。
――僕のことを『お金持ちの道楽』と言っていた女のひとだった。

「あら、眠そうね。やっぱり引き継ぎが大変なのかしら?」
「…あぁ、まあな。時間がねーからどうしても急ぎになっちまうな」
先生は大きな欠伸をひとつした後、女の人と立ち話を始めた。
「貴方も大変ねぇ。あの発育不良の愛玩『ねこ』がらみなんでしょう?」

発育不良……きっと、僕のことだ。
僕がらみで何かあったんだろうか?

「いやぁ…別にアイツが熱だしたのと、今回のは関係無いって。たまたま城持ち貴族さまがお抱えの医者を探しているから、お前どうだって話を持ち込まれただけだから」
先生は曖昧に笑いながらそう言っていた。
「あら、そうなの。まぁ、そっちのほうが気楽だしのんびり出来ていいかもね。特に貴方には、美しく着飾った蝶を追いかける時間が出来るから、忙しい此処の研究所よりも良かったんじゃないの」
「うむ…。まぁなぁ。ここの仕事も悪くは無かったがなぁ。特にアイツはもうちょっと面倒みてやれば、かなり順調に成長できそうな感じなんだが。初めて診たときよりも、随分と丈夫になってきたしな」
「まぁ、ご立派な責任感の持ち主ですこと。あんながりがりの『ねこ』を気にかけてあげるなんて。いつも幽霊みたいに痩せこけた顔つきでベッドの中からじーっとこっちを睨んでいて、何を考えているのかわからない子だわ」
女の人は呆れたような声をあげて、先生の腕にしなだれかかった。
「…いやぁ、アイツはおとなしくていい子だろうが。どんな検査のときもじっと耐えているし、苦い薬でもきちんと飲むしな。…まぁ、ちょっと怖がりでビビリんちょだけどなぁ。医者の義務を果たすには扱い易くて助かる患者なんだが」
先生は言葉を濁しつつも、綺麗な女の人に側に寄られてちょっと嬉しそうだった。
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