book2
□きみの元へ
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あの人の好きな声を好きになれない。
「(これにはなれないなあ。)」
耳から流れてくるのは、教えてもらった女性のバラードだ。ビー玉みたいに透き通った声は、弾けるギターの音と同調して私の心に染みる。自分で聞いているくせに聞きたくなくなって、耳を塞ぎたくなって、私はそれでもなにもしなかった。涙は、いつだって隠れている。私の心は、じれったく足踏みをした。
「だって好きなんだもの、仕方ないでしょ?」
ああ、だから私の心なんて嫌いだよ。
「またまた。」
だから、嫌いだって。
「認めちゃいなよ。」
しつこいなぁ。
「僕を嫌いな君に、」
やめてよ。
「君なんかに、」
やめて。
「誰かを愛せると思ってるの?」
囁いた心は、うっすらと笑って私の肩に手を置いた。
「君は声も、顔も、体だって、どうしても、一番にならなくちゃ嫌じゃない。そんなわがままな所だって、可愛くない。誰も好きになんかならない。」
心だって、きっと寂しいんだ。同じだ。不安で、怖くて、それでも息をしなくちゃ、酸素はキスをしてくれない。だから私は、今日もあの人の足音を聞くのだろう。今日もきっと、あの人の指先の痛みを感じるのだろう。
「ねえ、もうあの人の好きなものなんて、知りたくないよ。だって、私は、私たちはそれになれない。そうでしょう?苦しいだけじゃない。なのにどうして君は平気で笑ってるの?」
心は必死に語りかける。それでも私は止まらなくて、その代わりに心臓は煩くなった。
「君が止まらないなら、このまま一生分の心拍数を使いきって死ぬわ。」
それでも足は止まらない。どうしてかなど、言わなくてもわかっていた。
「ねえ、ねえってば。わかったよ。もうやめるから止まってよ。ひどく怖いのよ。」
「(怖いのは、きっと、同じだから。)」
「え?」
「(怖くない人なんて、いないから。寂しくない人なんて、いないから。痛くない人も、涙を流せない人も、私だけじゃないから。だから、止まれないよ。)」
止まらないのではなくて、止まれないのだ。だって私は、触れた痛みを知ってしまったから。だから、止まれないのだ。
「わからないよ。」
それでいい。どんなに、一番になれなくとも。涙が流れようとも。この足が止まらない限り、私は歩いていく。時に駆け足になって転んだとしても、私は立ち上がりかたを知っている。心に触れたあの人の痛みを落とさないように大切に抱きながら、向かう先へは一本道なのだから。
きみの元へ
争いは嫌い。
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