book2

□言の葉
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君に忘れられた言の葉が、ひとつ、涙をこぼした。

その涙が雨となって街へ降りそそぐ。人は眉をしかめて、手元に増えた荷物を睨み付けた。私はといえば雲の上で言の葉に寄り添い、抱き締めるばかりだ。言の葉はそうして、私に君の温度を教えてくれる。

「雨降る景色、好きよ。」

「(へえ、そう。)」

「色とりどりの傘にどきどきして。電車からのぞく向こう側は白く霞んで幻想的、だなんて。街が少し静かで。歩く人の心に注ぐのはピアノの繊細さかしらね。穏やかに鎮められていくような、頬に触れた雨粒も、きっと愛しいのでしょうね。白い襟の二人が相合い傘をして、路上駐車の点滅も、待っていてね、とキスされたように、きっと誰かを待っているのね。誰かはお気に入りのスニーカーで地面を踏んでいるのね。

そんな景色を、私はどんな風に見ればいいのかしらね。」


「(そう聞く限り、なんだか好きではなさそうだけど。)」

言の葉は私にそう笑って首をかしげた。ああ、ほら、また。涙が流れていく。いつだって寄り添って、まだ温かいよ、なんて囁いてくれる言の葉が愛しいから、やっぱり抱き締めてしまう。

「いつから貴方を抱き締めてるんだっけ。」

「(さあ、いつだろう。僕が涙を流しはじめた頃じゃないかな。)」

「そう…。」

「(君の方の言の葉はどうしているかな。僕と出会った頃は随分幸せそうだったけど。)」

そんな風に言い出してだんだんと冷めていってしまう言の葉をまた、抱き締めた。しっかり私の腕の中で生きているのに、だんだんと冷めていってしまう感覚もやけに現実的だ。だって、言の葉はいつまでだって、私がそこにいると知っていればずっとここにいるのだから。抱き締めていればいつだって感じられるのだから。

「私の言の葉は、ずっと温かいわ。私はそれを知っているもの。」

「(随分自信があるんだね。)」

「きっと私も、雨を降らせたでしょうけれどもね。それでも、それでも私は、手放してしまうなんてしたくないもの。」

「(まるで、僕の主人が僕を手放したかのように言うね。)」

嘲笑に似た表情でそう言う言の葉は、やっぱりまだ泣いている。でも私にはそれがなぜなのかわからない。君が本当に言の葉を手放しただなんて信じたくはないのだ。

「だって…だって貴方、もう、ひどく冷たいんだもの。」

「(前と比べたらね。)」

「泣いているんだもの。」

「(生理現象さ。)」

「私は、…。」

「(わかった。わかったよ。キスをしておいで。そうして僕を抱いて言えばいいさ。"貴方の子よ!!"なんてね。悲劇のヒロインの喜劇の始まりだ。)」

「おちょくらないで頂戴。」

きっと本当はわかっているのだ。
私も言の葉もわかっているのだ。
だって、痛いなんて言うのはお門違いだから。君の痛みもわからない私に、まだ君を傷つける私に、なにも言う資格はないから。だからただ私は、『埃が目に入ったのよ。』なんて言って言の葉と一緒に涙を流すのでしょうね。

君はどうしていますか。笑っていますか。ならばいいです。
笑っていないのなら、また言の葉をください。





言の葉が、虚像だったとしても、言の葉が嘘になっていたとしても、抱き締め続けるよ。

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