book2

□猫は泣く。
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彼女の姿が見つかったのは、彼女が姿を見せなかった次の日だった。腕や脚の痛々しい傷から腐敗する前に見つけてもらえたみたいだから、きっとその前の夜に殺されたのだろう、と言う話だった。そんな話をしていたのは知らないおっさんで、僕は、彼女がそうやって知らない人たちの海に埋もれて消えていくのをただ見ていただけだった。

 にゃおう、といつものように鳴いても、あの瞳を細めて頭を撫でてくれる手のひらがない。横にいた友人たちは、訝しげに僕を見た。なんだよ。こっち見んなよ。と言えるような気力はない。彼女の方に歩いていこうとしても、黒い壁が邪魔をする。どけよ。俺は彼女の猫なんだよ。と言おうとしたら、一人の友人が僕を止めた。だから、ただ呆然と彼女の白い肌を見つめることにした。

もしかしたら殺した人も、自分が殺した彼女を見てほしかったんじゃないか。

ふと僕はそう思った。というのも、彼女は、浜辺でたくさんの華、それも彼女の好きだったワインレッドのダリアに囲まれて見つかったからだ。この時期の浜辺は、海水浴にくる人はいなくても、サーファーやらドライブでやってきたカップルやらで必ず人が通る。白い浜辺に紅い華があれば誰かは気づくだろう。それでも気づかれずに、一番最初に発見したのが僕であったことはなによりの救いだったと思う。

なんにしたって僕は、その犯人に嫉妬した。彼女の肌を最後に触り、彼女の瞳に最後に映り、彼女を殺したなんて。その約束をしていたのは僕だったのに。

「君を3日ぐらいかけて食べたいなぁ…。」
「そんなにかけたら腐敗しちゃうよ。」
「冷蔵庫に入れるもん。」
「冷蔵庫が臭くなるよ。」
「じゃあ冷凍するもん。」
「血抜きしてからをおすすめするかなぁ。」
「うー、もういい!」

会話の後に抱き締めてくれた女らしい腕とか、抱き締めた細い腰とかそういう具体的なことでなく、すべてが信じられない。潮に混ざる生臭いにおいもなにもかもすべてが受け入れられない。自分の目に映っている景色をガラス越しに見ているようなそんな感覚だ。自分をそこに置けない。夢と言われた方がまだ信じられる気がした。

「大丈夫ですか。」

「…わかんない。そっちは。」

「俺は、何て言うか、すみません。あんまりこういうこと、不謹慎だとは思うんですけど。全部彼女の自作自演なんじゃないかって思ってます。」

背の高い青年は、そう言ってうつむきながら、彼女から送られてきたメールを眺めていた。文章のないただ一枚の写真のみのメール。タイトルは、『猫と蛇へ。後は白く。』猫は、きっと僕の事だろう、と、彼は朝早くに僕のもとへそのメールを見せに来てくれた。そこに映っていたのは、どこかおかしな、朝焼けが綺麗な海岸の景色だった。そう。彼女から送られてきたメールには、彼女の写真が映っていた。あまりにも奇妙だ。みんながみんなそう思った。きっと、どうして彼━━多分蛇であり、彼女の元彼にあたる青年━━のもとにメールが届いたのかといえば、僕が連絡手段を持たないからなのだろうが。

「顔まわりに傷、ありませんでしたね。」

「そうだね。」

彼は顔を上げて彼女の方を見た。僕より10cmぐらい高いから、少し見上げる形で彼の顔を見ると、そこにはなにもなかった。いや、深すぎてわからないのかもしれない。どちらにせよ、彼の考えていることは僕にはわからない。顔をきっちり見ている辺り、彼女の顔が好きだったんだな。と言うことが読みとれるだけだ。ああそういえば、彼女はいつからか彼の話をすると、あの人は子供だから。としか言わなくなった気がする。彼女が彼と付き合っていた頃から彼とはよく話していたからか、どうにも言えない気分で聞いてはいたけれど。

「え、それはおかしいですよ。」

友人の一人が口を開いた。みんながそいつを見ると、そいつは少し躊躇いがちに続けた。

「だって、あんなに腕やら脚やら傷だらけで痛いはずなのに、抵抗して声を上げたら、殴るか口を抑えるかするだろうし、首も絞めてないなんて…。余程気を使わないと顔まわりだけ綺麗に傷なしって言うのは、気絶させてからならあり得ますけど、顔まわり以外には抵抗した痕がありましたし、」

「ねえ、ちょっと。不謹慎だよ。」

女子が口を挟む。泣いている子もいた。ああ、いいよな。なんて少し思ってしまう。僕は泣けない。泣いても彼女が抱きしめてくれない。

「セックスした後みたい。」

蛇がぼそりとそう言ったのを、僕は聞き逃さなかった。そうしてまた彼を見ると、その顔に浮かんでいたのは、明らかな軽蔑だった。まるで汚らわしいものを見るような瞳は、彼女が嫌がったそれそのものなのだろう。そうして何度も泣いていたのだと言う話は、それとなく聞いていたけれど。

「ああ、服も破かれてるしね。」

聞こえないフリだってできた。それでもそうしなかったのは、彼の顔が怖かったからだ。本当に蛇みたいだと思ったからだ。そうして、すべて飲み込まれてしまいそうで、本当に犯人がそう思ってしたということになってしまいそうで嫌だったからだ。

「二人までなに言ってんの!?あんたらあの子が好きだったんでしょ!?」

「…かわいそ。」

女子の声に、僕らは口を閉じた。かわいそうなのは誰なんだろう。彼女はかわいそうなのだろうか。いや、一番かわいそうなのは彼女の家族だろう。娘に先立たれる悲しみは、到底僕にはわからないが、それが並々ならぬものであることは世の中のそこらかしこに落ちている。ドラマとか、小説とか。ああ、そういう世界では、恋人に先立たれた男というのは半数が自殺するんだっけ。

「死なないで。」

彼女の声が反芻する。僕が死にたいと言えば、いつも彼女はそう言った。

きっともう、僕の大好きなその声を聞くことはない。

にゃおう、という声は波に消えた。




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