book2

□死にたがりの世界では、花は咲かない。
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ぼやけた視界とおぼつかない足どりで生きている。

もともとそんな人生だから、あの人が責任を感じる必要なんてないはずなのに、僕が生への執着を捨てようとするたびに、脳裏に浮かぶ言葉だけでなく、死ぬななんていうから、僕はどうしたらいいのかわからなくなる。

生きていたって意味のない人間が、死んだところで世界は何一つ失わないというのに。

生は、僕が死んだところで誰かに還元されるだけだ。

僕が使うはずだった酸素が、誰かのために残るだけ。
僕が触るはずだった景色も、きっと誰かが見つけてくれる。
僕の歌だって、僕である必要などどこにもなくて、僕以外の誰かが賞賛されて、それで廻る世界だ。

僕を愛する人だって、いつか僕以外の誰かを愛せるようになる。
その悲しみも、いつかは薄れる。

だって人間は、そうやって忘れていく生き物だから。

執着がない限り、忘れることができる。
その悲しみを持っていることを自ら選択しない限り、苦しくなどない。
苦しみはいつか、懐かしさへと変換されていく。
涙も乾いて、太陽が出る。

夜は必ず明ける。

僕自身がそうなのだから、世界もそうであるに決まっている。

僕がこの悲しみから抜けられないのは、僕自身が悲しみを持っていることを選択しつづけているからなのだ。
だから、悲しまないでなんて、そんな言葉は無意味なのだ。

「見捨てればいいのに。」

思ってもいないことを口に出すべきでないのはわかっている。それで本当にあの人が私を見捨てることが怖くて仕方ない。

それでも、見捨てられて本当に踏ん切りがついたところで、自分が死ぬことができるかといえば、そうではないことだって、あの人は知っているはずなのだ。

ずっとずっと自己否定を繰り返してきた人間がまだ生きているのは、本当に死ぬことが怖くて仕方がないということなのだ。

その怖さを捨てられない弱さが、まだ自分を生かしている。

そうしてぼやけた視界のまま死ぬこともできず、また眼鏡を探している。
おぼつかない足どりも、転んでしまうのが怖くて、どこかにつかまってしまう。

「生きるの、億劫だなあ。」

なんどそう思ったかわからない。

そうして出会ったあの人だから、僕は惹かれたのだけれども。

「やあ、久しぶり。」

顔を出した懐かしい家族に、僕は何も言えなかった。幸せになると約束したのに、僕は今幸せかどうかなんてわからない。

「あの人はさ、私たちと似ているよね。」

「そうだね。」

「あのね、私たちはさ。」

「うん。」

「もうここにはいられないけれど、いつだって君を愛しく思っていたことは変わらないんだよ。」

「でも、あの人は、それが自己防衛だって言った。僕は僕を守りたくなんてない。」
「そんなの関係ないさ。あの人は結局、君のことを隅から隅までわかっているわけじゃないんだから。」

そうかな、と言うと、彼女は、そうだよ、といった。
懐かしい黒髪が揺れる。瞳は相変わらず強かった。

「ねえ、」

「なに?」

「また戻ってきてはくれないの。」

「もう、君は一人じゃない。」

彼女はそう言って私の頭をなでた。僕の家族は、相変わらず優しくて、いつだって正しい。
そうして僕も、あの時にはもう戻れないことを知っていた。

「痛いよ。」

「うん。」

「言葉で教えてほしいんだよ。」

「うん。」

「わからないんだよ。」

「うん。」

「独りになりたくないんだよ。」

「うん。」

「いっそ、壊してほしいんだよ。」

「うん。」

涙声でノイズが混じる。
それでも彼女は、僕が声にできない言葉にただうなづいてくれた。

そうして僕を抱きしめて、怖いね、と言ってくれた。

「でももう、つらいことさえ否定しなくなったね。それはきっと、あの人のおかげだ。」

「うん。」

「たくさんのものをもらったんだね。」

「うん。」

「そして君は、それを大切にしたいんだね。」

「うん。」

「優しかったんだね。」

「うん、とっても。」

「そっか。大切な人に出会えたね。」

「うん。」

だからもう、死ぬことだって怖くないはずなのだ。
それなのに僕は、大切なあの人に触れたい一心で、死ぬことを選べずにいる。

大切な人を、ただ大切というだけで終わらせたくなくて、僕はまだ足掻いている。

「なんて滑稽なんだろうね。」

「そうかな。」

「滑稽で、傲慢だ。」
「そうかもね、でも、生きてるってことなんだよ。死んでいたら傲慢にもなれない。」

でしょ?と、彼女は笑った。
僕も笑った。そりゃそうだ。

「あのね、きっと死にたいのはさ、」

「うん。」

「いろんな理由があるけどさ、」

「うん。」

「もう、死なないでほしいとすら思われなくなって、言われなくなるのが怖いんだよ。」

「そうだろうね。」

「だからさ、そうなる前に死にたいんだよ。」

「君は本当に、怖がりだね。」

そこは変わらないね。
彼女はそう言って、僕を抱きしめた。ぬくもりのないぬくもりが僕を包む。
恐怖は消えない。
僕は、もう、これが虚像であることを十分すぎるくらい知ってしまっているのだから。

花は、咲くことがなければ、散ることもない。

僕らの世界では、花は咲かない。






死にたがりの世界では、花は咲かない。

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