book2
□魔法使いにキスを2
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目がさめると、ベッドの上だった。
横に温もりを感じて寝返りをうてば、そこにいたのは結界の外にいた若い魔法使いだ。
そして感じる空気でわかる。ここはまだ、人間の世界。
どうやら私は、自分に魔法をかけきれなかったらしい。
「ああ、起きたか。」
横にいた若い魔法使いが目を覚ます。その瞳は穏やかで、少し怒っていた。
「心配したんだぞ。」
「ごめん。」
「でも、お前が向こうに行ってしまわなくてよかった。」
どうして、と言おうとして、その瞳の奥にある温もりで気がついた。
「結界が破れたんだよ。お前はその直後に倒れた。いや、ほんと、びっくりしたよ。」
「そっか。助けてくれてありがとう。」
「あのまま自分に魔法をかけ続けたって向こうには行けん。死ぬこともできない。本当はな。」
「そうなの。」
「うん。かける魔法が違う。かと言って正しい魔法を教える気もないがな。」
まあ、こっちの世界も悪くはないんだぞ。
若い魔法使いはそう言って私の頭を撫でた。その撫で方はすごく優しかったけれど、あの人の撫で方とは違った。脳裏によぎる淡い優しさに胸がずきりと痛んだ。
それから私は、この若い魔法使いの家に住むことになった。毎日ご飯を作って、寝て、起きてを繰り返す毎日だった。
「なにをしてるの。」
「魔法の練習。」
「その魔法を使っても無駄だよ。」
「じゃあ向こうに行くための魔法を教えて。」
「やだね。」
本当にこいつは。優しいくせに、とてもいじわるだ。
そうして毎日、いろんな話をした。今までの話、魔法の話、たくさん笑ったし、たくさん泣いた。彼はたまに、向こうの世界を見たことのあるような口ぶりで魔法の話をした。
思えば、彼の魔法を見たことはなかった。
それでも、彼が魔法使いである事はわかった。雰囲気からわかる。それもまた、魔法使いの本能だった。
そんなある日、私は買い物に出た。魔法の勉強をするためだ。
若い魔法使いの家の近くにある本屋に行くつもりで、私はとても気分が良かった。心の中に咲く花も、今日は知らんぷりをしてくれた。
本屋に行って魔法の本を買い、さあ帰りに甘い物でも買って帰ろうとした時だった。
「あ。」
道の先に見つけたのはシオンだった。
どうしてこんな所に咲いているんだろう。
そう思って向こう側の道を見てしまった。
そこにいたのはあの人だった。隣にいる女の人間と話をしている。あの人は笑っていた。いつも通りの笑顔で、女の人間と笑って話していた。何を話しているかまでは聞こえない。魔法を使えば聞くことができたが、そんなことをする気にはなれなかった。
笑っていることが嬉しい反面、とてつもなく悲しかった。虚しさと悲しさが混ざり合って、怒りにさえなりそうだった。
あの人が幸せならいいと、そう思うつもりだった。そう思えたらきっと全てがうまくいくと思った。
憎めたらどんなにいいんだろう。恨めたらどんなにいいんだろう。
それでも私は、あの人が好きだった。大好きだった。愛していた。
抱きしめた温もりも、耳を当てた心臓の音も、包むような低音も、全て愛おしかった。
今はもう全てに触れられない。近くにいるとわかっているとひどく苦しいと思った。やっぱり、私は遠くへ行くべきだと。
そう思って必死に走った。若い魔法使いの家まで必死に走った。向かい風が髪を撫でる。涙も一緒に吹き飛ばしてくれるようだった。道端に咲くシオンの花も、マーガレットの花も、勿忘草も、もう見たくない。愛おしいのに、抱きしめたいのに、心の中に広がる苦しさがそれを拒否していた。それでもそれらの花をむしって捨てることは、私にはできない。
「どうしたの。」
家に着くと若い魔法使いが心配そうな顔をして迎えてくれた。走った勢いで抱きつけば、大丈夫だよ、と言って抱きしめてくれた。
「お前はさ、どうして不幸に向かって突き進むの。」
そんなんじゃ本当、放っておけないよ。
若い魔法使いはそう言って私の背中を撫でてくれた。その手つきはひどく優しくて、温かい。私はといえば、まだ涙が止まらなくて、若い魔法使いの胸を濡らすばかりだ。
「花を枯らす魔法、教えて。」
「…。知ってるだろう。命を殺すための魔法は、自分の命も削ることを。それが花であっても同じだってことも。そして、その魔法が禁忌であることも。」
「知ってるんでしょう。」
「ああ、知ってる。でも教えるわけにはいかないよ。」
若い魔法使いはそう言って私を強く抱きしめた。
それはまるで、生きなきゃダメだと言っているようで、私は苦しかった。
向こうの世界にも行けない。死ぬこともできない。
それなら私はどうしたらいいの。
「笑っていればいい。幸せになればいい。お前が一人で幸せになれないなら、俺が幸せにするから。」
若い魔法使いは、やっぱり優しかった。
でも私は、幸せになりたいとおもっているかすらわからないのだ。
あの人は、私が幸せじゃなきゃ幸せじゃないと言った。私は、それなら一生幸せになんてならなければいいと思ったのだ。あの人と一緒に幸せになれないなら、私の幸せがあの人の幸せなら、あの人を幸せにしたくはない。
幸せになってほしいと願うのに、一人で勝手に幸せになんてなれないなんて言うから、そんな優しさなら、踏みにじりたかった。
あの人の言葉が心から芽を出した。きっとこれからも何度も芽を出すのだろう。
『君は俺にとって、大切な女であることは決して変わらないし、俺は絶対にシオンの花を捨てない。記憶力はいい方なんだ。なめるなよ。』
そんな風に強気に言ったあの人は、やはり魔法使いなのかもしれない。
人の心に種を植える魔法。
そうして私はまんまとその魔法にかかったわけだ。
よくよく考えてみれば、私にとっての忘れないことと、あの人にとっての忘れないことの意味が同じはずなかったのに。
その日私は、そうだね、とだけ若い魔法使いに微笑んで普通に過ごした。
それからは毎日、魔法の本を読みあさった。
命を消す魔法で自分の命を削り、魔力を作っては、向こうに行くための魔法を調べ続けた。
無駄かもしれないが、それでも、私にはそれしかできなかった。
「こら、やめろって言ってるだろ。」
若い魔法使いは、私が命を削る度にそうやって怒った。
「そんなことばかりしてると、人間に戻すぞ。」
「そんなことできるの。」
「やろうと思えばできるさ。」
彼の目は真剣だった。真剣に怒っていた。それだけ私の事を愛しているのだとわかった。ただ私の魔法にかかって私を好いているのとは違う。彼といるのはとても楽だった。
それでも私は繰り返した。
「どれだけ削っても死なないわ。」
「ああ、そうだろうよ。花を枯らすだけなら削れるのはほんの少しだ。それでもな、その魔法は禁忌なんだよ。わかるか。」
「わかってるわ。でも、」
「でももへったくれもあるもんか。お前が死んだら悲しむ奴がいるんだよ。」
若い魔法使いはそう言って私の肩を掴んだ。魔力を秘めた瞳が私を見つめて煌めいた。それは、少なくとも、私の目の前に"悲しむ奴"がいるのだと言っているようだった。
「それなら、向こうに行く魔法を教えて。」
「いやだ。いや、正確に言えば、俺も知らない。」
「じゃあ、過去に戻る魔法。」
「そんなものはない。いくら魔法使いでも、時空を超えることはできない。」
「そしたら、そしたら、生まれ変わる魔法。」
「そんなものも、ない。生まれ変わりなんてものは存在しない。」
若い魔法使いの言葉は正しかった。そんなことは私も知っていた。知っていて、彼に縋った。
縋らないと、今すぐにも壊れそうだった。
「なあ、魔法なんてさ、大したものじゃないんだよ。時空も越えられない。生まれ変わる事も出来ない。お前を楽にするための魔法なんてものは、お前自身の中には存在しない。それなら、もう、魔法使いなんてやめればいい。」
「無理よ。」
「どうして。」
「私は、私として生まれた瞬間から、私が私になると決定した時から、もうずっと魔法使いなのよ。今更自分を捨てて人間になるなんてことができると思うの?」
「…、それもそうか。」
きっとこの時私は、考えることを放棄するのが怖かったのだろう。それがどうしようもなくしんどくて、いっそ逃げてしまいたかったのだろう。
自分を傷つけることで、何度も安堵と不安のアンバランスな安心を得て、いつもいつも、あの人の言葉を待っていた。
それでももうそれはない。
時の流れというものは、やはり残酷なのだ。
時が進むのと同じように、あの人は前へ進んだ。私はまだ前に進めずにしゃがみ込んで泣いている。きっとあの人は忘れる。
そうやって彼の背中に甘えながら、あの人の温かい手のひらを待っていた。
でも、それが間違っていることはわかっているのだった。
だから私は、やはり前に進むべきなのだ。
時間がかかっても、向こうに行くために。
魔法使いにキスを2