book2

□花を抱いて眠る(1-6)
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1.ニゲラ


『ニゲラ、花言葉、夢で逢いましょう。』

――――夢に出てきた花を調べた。
というのも、ここ最近よく花が夢に出てくるからだ。

毎日、私は同じ場所にいる。

同じ場所で、同じように、あの人と話している。

もはやそうすることでしかあの人と話すことが出来なくなったから、脳がそうやって自分に「夢を見させている」のかもしれない。文字通り、言葉通り、「夢」であり、「ゆめ」をみさせているのかもしれない。

夢はその人の深層心理や本当の願望を写すという。その説を否定するつもりはない。ただ、それが本当に本当の願望かなんてことは誰にも分らないのだ。

なぜなら、人の心なんてものは他人にも本人にも見えないのだから。証明しようがない。

そして私は、それを誰にも言うことが出来ない。そんなことできるはずない。
あの時でさえこの恋は、許されたものではなかったからだ。

「おはよう。」

恋人が私に話しかける。

「おはよう。」

私はそれに答える。
調べていたページを消してスマホを閉じた。別にやましいことなどないのに、そうしてしまった。

流れるような動作で恋人とキスをする。
現在、同棲しているわけではないが週に一度は泊まる彼の家での、朝の儀式。
今日もこの人を愛しているということを体現し、認識し、自覚するための行為。

その意味を自覚し、意識している限り、私は彼への意味のない、意味の解らない、しようもない罪悪感から逃れられない。
そんなものを持っていたって誰も救われない。誰も幸せになんてなれない。誰も、なにもかも、うまくいかないのは、自分が一番よく知っている。

のに。

「(ニゲラ…。)」

夢で逢いましょう、と、私はあの人に花を渡していた。

そしてほほ笑んで、ほほ笑んでもらうことを望んでいた。
望んでいた自分に気が付いていた。

それはもはや現実のような夢だった。

そんなはずないのに。

あの人が笑うか笑わないかわからないあたりで目が覚めた。

続きが気になるかどうかなんて聞く必要も意味もない。
最後のあの人の言葉を借りるなら、どうでもいいこと、だった。

「今日の朝食は何にしようか。」

自分の思考とは関係なくするりと出た言葉に心の中で驚嘆した。

「んー、まだ少し眠いし、俺朝ごはんはいらない。」

彼はいつもそう言って朝食をとらない。起き上がったのにもう一度寝転がった彼の頭を優しくなでる。そうして自然と笑みがこぼれた。

ああ、私もまだ少し眠い。

「今日の授業は?」

「ないんだ。休講になった。」

「あら、奇遇ね。」

じゃあもう少し寝よう、と言って彼が私の腰に腕を回す。
その力に逆らわずに私も、彼の匂いのするベッドに寝転がった。

―――眠ったら。
夢を見たら、またあの人に会うだろうに。

暗転


2.シオン


気づくと、私はあの人といた。

「また、会いましたね。」

部屋の窓辺には、ニゲラの花が一輪花瓶に生けられている。

「これで何度目でしょう。あなたと会うの。」

まっすぐ、でも緩やかになるように心掛けながら見つめて、声をかけた。

「知らん。そんなのは俺の知ることじゃない。」

そういって、やはり、夢でもあの人は私に冷たい。
もう紫陽花の時期は過ぎたのに。

「紫陽花なんてとっくに散って、ヒガンバナももう枯れました。」

「そうか。」

「今度は、どんな花が咲くのでしょう。」

「知らん。」

「本当、あなたってそればかりですね。」

知らん。忘れた。そんなことはどうでもいい。めんどうくさい。

こればかり。こんな言葉ばかり。こんな温度のない温度ばかり。冷たい。温かくない。けがでもしそうなぐらい鋭い。鈍くて、鋭くて、痛い。相手を切りつけるだけの言葉。共有したものもなにもかも全て投げ出して、ほっぽり出して、私に、さも捨ててしまったのかのように見せるような、言葉。愛も情も慈悲もない。色がない。ただの暗闇に突き落とすような言葉。極端に言ってしまえば、嫌悪感すらにじみ出ている。会話することを放棄したかのような、次の回答などいらないとでもいうような、自分の言葉や勝手な感情ないし思考を押し付けたような、言葉。ただの会話の相手にこんな言葉を贈る人ではないのだ、この人は。ただしこの場合、「多分」をつけなければならないだろう。だって、あの人は言うのだ。よくそんなことわかるね、すごいね。と。それはもう皮肉のように言うのだ。まるで、本当はわかっていないくせにとでも言いたいかのように言うのだ。だから、多分。こんな言葉ばかりでぐさりぐさりと刺されるのは、自業自得。なのだ。でも私はそんな身勝手なことを許したくはない。許すはずがない。嘘なんてつかせない。絶対に。


―――だから、回りくどい言い方をすればこんな感じ。

単刀直入に言ってしまえば、わざとらしいほど優しくないのだ。

優しくない。優しさを感じられない。

優しくないように見える。

でも、感じてしまうのですよ、ねえ。

敏感になりすぎているだけなのでしょうか。

また優しくしてなんて、わがままでしたか。

夢の中でも優しくないなんて、あまりにもひどいじゃありませんか。

「私はこの花を捨てられません。」

手元には、シオン。

私はこの花を捨てられません。
あなたがこの花を捨てたなんて思いたくありません。
そんな言葉は信じたくありません。
あなたから差し出したのに捨てるような人だと思いたくありません。
あの頃の優しさはどこへ行ってしまったのですか。
あの時の言葉は全てうそだったのですか。
あなたにとって言葉なんてそんなものだったのですか。
そうしたらもう私は言葉なんて持ちたくありません。
あの時のように声もなにもかも失ってしまいたいと思うしかありません。
そして自傷行為を繰り返すしかありません。
そうしたらまたあの時のように優しくしてくれますか。
いえ、きっと自分の役割じゃないと言うでしょうね。
それじゃあ私が死んだら悲しんでくれますか。
あなたしか止められないと言ったら死ぬことを止めてくれますか。
私が消えることを悲しんでくれますか。
どうしたらあの時のように優しくしてくれますか。
どうしたらあの時のように笑ってくれますか。
どうしたらあの時のように私を助けてくれますか。
どうしたらあの時のように可愛いと褒めてくれますか。
どうしたらあの時のように好きだと言ってくれますか。
本当に知らないのですか。
本当に忘れたのですか。
本当にどうでもいいのですか。
本当に面倒くさいのですか。
自分の信じたいことだけ信じている私は滑稽ですか。
自分の望み通りでない言葉に悲しんでいる私は愚かですか。
どうしたら優しく教えてくれますか。

シオン、ねえシオン。あなたも枯れてしまうというの。

暗転



3.秋明菊



「この写真、すごくきれいだよ。」

恋人がそう言って褒めてくれた。
写真に写っているのは、私、ひとり。

そこに咲いているのは秋明菊。

花言葉は、多感な時。
確かに。秋というのは多感な時だろう。
菊ではなくアネモネの仲間であるその花は、花びらの部分が実は花弁ではなく愕だということもあり、色々偽られている気がする花、という印象が強い。

「(偽られている、だなんておかしい言い方。)」

だってそうだ。秋明菊は偽っているつもりなどなくただそこに咲いているだけのだから。偽っているように見せているのは、実は人間の方なのだ。

知りすぎたために、また、知らなさ過ぎたために、間違って、それが偏見という結果に至った。

なんだか自分みたいじゃないか。

「うん、ありがとう。」

欝々としながら、そう答えることしかできなかった。

「なんだよ、まだ眠いの?」

「ええ、少し。」

「なんだか顔色も悪いし、もう少し寝ていいよ。」

「ありがとう。」


ごめんなさい。
言葉にできなかった謝罪は、土に埋めておこう。
また来年この花が咲くように。

秋明菊のもう一つの花言葉は、耐え忍ぶ恋。


暗転




4.キスツス•アルビドュス



「おはよう」

あの人が私にそう言った。

「おはよう、ございます。」

多少の違和感を感じながらそう答えた。

あの人は目の前で微笑んでいる。
その微笑みに意味はない。

久しぶりに、あの人の微笑みを見た気がした。
優しくて、温かくて、安心する微笑み。

あの時、たくさん見せてくれた微笑み。



―――あの時。

あの人が忘れてしまったと言った、思い出すのが面倒くさいと言ったあの時の事。

「言葉を大事にしたいと思ってる。話さなきゃ伝わらないから。」

そう。だから話した。私の事、過去、記憶、気持ち。


「俺が忘れないといったら忘れないんや、記憶力なめんな。」

言葉を信じたい私を信じさせるためだけの嘘だなんて思いたくない。

「幸せになってほしい。」
「生きていてほしい。」
「自分を下げるようなことを言わないでほしい。」
「自分に自信をもってほしい。」
「死ぬなんて言わないでほしい。」

そんな風に言ってくれた言葉も全て偽りだとして、私はもう何を信じて生きていけばいいのでしょうか。
あの人がそんな風に言ってくれた言葉が嘘で、適当で、どうでもいい事だったとしたら。

そんな風に疑ってしまう私に、あの人はまた苦笑いするのでしょうか。


「死にたい。」

「死にたいんです。」

「何よりも言葉を信じたかったから。」

「何よりもあなたを信じていたから。」

「信じられなくなる前に、死にたい。」

そう言ったって、きっとあの人は、もう、止めるのは俺の役割じゃないだなんて言うのでしょうね。


まだ好きだとか、そういう話じゃないのに。

好きになるには理由があって、まだ好きでないとしても、その理由が消えるわけではない。その理由はその人の付帯条件なのであって、信頼してたならしていたほど、それが変化するだなんて思いたくはないのだ。

「怖いよ。」

あの人が変わったのだとして。

まだ自分を傷つける事をやめられない私は、花を持ち続けている私は、変わる事ができていないのです。

「なにが。」

「あなたが。あなたに関する記憶全てが。」

「なら忘れればいい。」


忘れられないよ。

忘れられないのに。

「キスツス•アルビドュスを咲かせたい。」


今度はキスツス•アルビドュス。

「さようなら。」


暗転




5.ブバルディア




「どうしたの。」

「えっ。」

「泣いてた。」

彼が私の涙を拭いている。

ああ、また夢を見ていたらしい。

起き上がって周りを見渡すと、そこにはブバルディアが咲いている。

「あの花…。」

「あれは、君が前に持ってきたんじゃないか。」

そうだったっけ、と思いながら、彼の顔を見る。
彼は微笑んでいる。

いつも通りの微笑みのはずなのに、なにかがおかしい。

「どうしたの?」

なにがおかしいんだろう。
いつも通りのはずなのに。


何かがおかしくて、気持ちわるい。


気持ち悪くて、目の前が暗転した。



暗転





6.ポピー(白)



私はどこにいるのだろう。
私は何者なのだろう。

私は今生きているのだろうか。

私の前に咲いている花は、本物なのだろうか。

これは現実なのだろうか。

「白いポピー…。」

ポピュラーで可愛らしい印象のポピーも、白くただ一輪だけあると、なんだか違う雰囲気を醸し出す。
ぼんやりとしていて、禍々しいとも言える。

誰の微笑みが本物?
どの言葉が本物?

わからない。わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない。

目を覚ましたくない。現実を見たくない。痛みを感じたくない。疑いたくない。失望したくない。泣きたくない。夢の中にいたい。そうすれば何も辛くない。死ぬことができないなら、もうずっと眠っていたい。逃げだと言われてもいい。逃げていたい。それが自分を守る一番の方法だから。だから、私は自分を守っていたい。もう傷つきたくない。いやだ。どちらにしろ幸せになれないのなら、現実なんていらない。


「もう現実か夢かなんてわからなくなっちゃった。」

どれが現実か、どれが夢なのか。

あの人も、彼も、私には微笑んでくれない。

幸せになんてなれないのならずっとずっと、眠って、眠り続けて、知らない間に死んでいたい。


ねえ白いポピー。

眠りも忘却も許してくれるでしょう。

現実でないなら、忘れたっていいでしょう。

夢を見たっていいでしょう。

暗転



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