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□俺が死んだ日
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彼女が、死んだ。

受験の結果発表を見に行った帰り、春先の日によくある飲酒運転の車に轢かれたのだと彼女の母親が苦しそうな顔で言っていた。そんな昨日の記憶さえ俺の中では朧気で、夢であってくれと思っても涙は出なくて。ただただ、俺は生きていた。

彼女が死んでも、俺の心臓は動いていた。彼女が死んでも、ブラウン管越しの笑い声はそこにあった。彼女が死んでも、彼女が俺の部屋に置いていった名前もわからない花は咲いていた。彼女が死んでも、世界は回っていた。彼女は、世界の一部だったはずなのに。

━━━俺と彼女は、高校で知り合った。田舎の、どこにでもあるような高校で彼女はいつだって笑っていた。まさかそれが過去形になるなんて思ってもいなかった。

━━━…いつか、いつか彼女の声を思い出せなくなる時が来るのだろうか。彼女を綺麗なまま忘れて、俺が誰かの隣で笑う日が、━━━

そんな日が来るなら、死ぬ方がマシかもしれない。彼女を忘れるぐらいなら、そんな未来が来るとするなら。どうやって死ねば一番良いのだろう。どうやって死ねば彼女のところに行けるのだろう。

「はは、ははは」

そうか、俺は死ぬのか。彼女がそんなに好きだったのか、そうだったのか。

━━ふと携帯が震えた。なんだと思って開くと、そこには彼女の母親の電話番号が表示されている。力ない腕を生きているなりに伸ばして携帯を手に取った。機械的な振動が掌に伝わって、もどかしい。

「ごめんなさいね、今、良いかしら」

「はい」

思っていたより、声は掠れていて。それが余計に生きていると感じさせて、俺は目を伏せた。

「あのね、あの子、死ぬ直前にあなたにメール打ってたの。今から送信して平気かしら。」

「…!!、お願いします。」

「…お通夜、明日に決まったの。良かったら来てやって。」

「はい。」

「じゃあ、」

電話が切れた無機質な音が、鼓膜を揺らす。だけれど、今俺を支配しているのは俺の鼓動の音だけで。うるさいぐらいの俺の鼓動のせいか、手も震えていた。いや、違う。震えてるのは心だ。

━━━あの子、死ぬ直前にあなたにメール打ってたの。━━━

彼女によく似た(彼女が似ているのかもしれない)だけれども大人びている声が、頭の中でリピートされる。彼女は死ぬ直前、俺の事を考えていた…?

チカ、と携帯が受信画面に変わると同時に、俺は反射で携帯を手に取った。そうしてほぼ本能で指を動かす。カチカチという音が俺の部屋に反響しては溶けていった。

「……、」

題名:無題

本文:

机の裏



ドクン、と、心臓が跳ねる。机の裏?誰の?俺の…部屋の?
━━━反射だった。ずっと出ないでいた布団から出て、目の前の机から椅子をどける。布団の外の空気は、ひやりと冷たかった。

畜生、寒いよ。ねえ、寒いよ。生きてるよ、俺。まだ生きてる。そう思ったら無性に涙が出てきた。あぁくそ、視界が霞む。そんなのお構いなしに机の裏を手で必死にまさぐると、かちゃ、と指先にすっかり冷たくなっているプラスチックのような物の角が当たった。

「っ!!」

ガタン、とどこかに体をぶつけようと気にせずに机を下から覗き込むと、暗い視界の中にテープで貼り付けられたCDケースが見えた。そこからはもう、鮮明に覚えていない。テープを綺麗にはがすこととか、息が荒くなってることとか、首が痛いこととか、全部全部頭の中からなくなっていた。

ホント、お前昔から俺を驚かせるの得意だよな。お前のために俺が何度必死に走ったか知らないだろ。俺も覚えてないけど。なあ、これももしかして驚かせてんのか?はは、笑えないから早く俺の前に来いよ。そんで、思いっきり笑顔で「ばーか!!」って、いつもみたいに言ってくれよ。頼むから。なあ、お願いだから。

「…取れた、」

静かな部屋に自分の荒い息と小さな呟きだけが響く。プラスチックのぶつかる音と重さが、中に何かが入っていることを知らせた。ケースに付いているテープのカスを目にも留めずケースを開くと、白いCD-ROMに赤い、紛れもなくあいつのまるっこくて可愛い字で俺の名前が書いてあった。

「とりあえず、パソコンか、」

あいつが来る度いじくって遊んでいたパソコンを起動させ、ディスクを挿入する。壁紙に大きく使われた写真にどきりとした。そこには、━━━━あいつのいっぱいの笑顔。自然体の、そのまんま100%のあいつがあった。

「●●…」

心臓が痛い。どうして、あいつが?神様は随分と意地悪だ。返してくれなんて、言えるはずもない。あいつは神様によって世界から消された。永遠に。

【DVD-Rディスク-映像】

【再生しますか?】

震える手でマウスを握り、はいをクリックする。どくんどくんと心臓の音がうるさくて、震える手がもどかしくて。だけれどどうにもできそうになかった。俺の頭の中には今、あいつしかいない。

『おーい!!えへ、驚いた?驚いたでしょ、ばーか!!』

聞き慣れた心地よい声が、画面越しに再生される。あぁ、ばかはお前だろ。おーいから始める奴があるか、ばーか。

『えーと、んー、今、私は公園に来ています。時刻は午前8時過ぎ。お寝坊さんの君にはちょっと早いかな?』

あぁ、知ってる。ここよく来たよな、コンビニで肉まん買ったりアイス買ったりして寄ったよなぁ。登校するときも待ち合わせしたりして。遅刻すんのはいつもお前だったじゃねえか。お寝坊さんはお前だろう?

『てことで、ビデオレターです!!感動した?』

『…。』

あいつが、寂しそうに笑う。お願いだからそんな顔しないでくれ。こっちも寂しくなるだろ、なあ。

『東京の大学、行くんだよね。聞きました。…なんで言ってくれなかったの、とか、言わない。だから、こうやっていつでも私の笑顔を拝めるようにビデオレター作ったんだもん。』

『あ、向こうでちゃんと生活するんだよ!!電話して確かめようか?ふふ、』

『抜き打ちで様子見に行こうかなぁ!!絶対汚くなってるでしょ、掃除しに行くからねー』

『こっちの事、忘れないでね、』

『…━━━━━向かえに、来てね。』

ビデオは、そこで切れた。最後の最後、あいつの笑顔はひどく、━━━━━ひどく綺麗で。

それでも再生時間は残っていた。俺は、黙って画面を見つめていた。


『君のために、君のためだけに、歌ってあげる。』

そうだ、あいつは歌が好きだった。気がつくと歌を作っていた。曲を、あいつ色の音で埋め尽くしていた。

『━━━━━━━…』

静かに、静かに、その曲は流れ出した。

『━━━━━…』

画面には、彼女が作ったのであろう映像が流れていた。それは地元の写真だったけれど、どれもこれも色がないように見えた。

『━━━…』

そしてそれは、二度と色づくことはないのだろう。彼女のいない風景など。


【…伝えたい言葉は、伝えられない】

【ごめんね、ごめんなさい。遅すぎました。】

【君が━━━━】

【好きです。ごめんなさい。愛しています。】

それは、彼女だった。彼女の気持ちだった。その音が途切れた瞬間、彼女の気持ちが溢れた瞬間、俺の気持ちが頬を伝った。冷たい体にその気持ちは熱すぎて。ツンと、尖った何かが俺の鼻を刺激する。
なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。なんで彼女が死んだ?
━━━なんで俺の気持ちは届かなかった?
なんだよ、両想いだったんじゃないか。

なんで、なんで。遅すぎたのは俺だったんじゃないか。東京に、遠くに行くからと気持ちを諦めたりして、俺は馬鹿だ。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

声を出して泣いた。彼女が死んで初めて、俺は泣いた。

なあ、抱き締めたいよ。お前の心臓の音を一回でも良いから聞きたかった。なあ、いつか結婚して一緒にテレビを見ながら笑う日を夢見てたのに。なあ、お前が置いてったあの花、何て名前かもう一回教えてくれよ。なあ、世界ってどうやって回ってるんだっけ。お前がいなければ意味のない世界が、どうやって回ってるのかなんて興味ないけど。なあ、これじゃあお前を向かえに行けねえじゃん。なあ、抱き締めてよ。俺の涙を拭いて笑ってくれよ。

なあ、好きだったよ。好きだよ。愛してる。心の底から、愛してる。だから、お前を最初で最後にするから。もうすぐ、会えるから。その時はいつもみたいな笑顔で名前を呼んでほしいな。

●●、愛してる。

━━━俺が死んだ日、俺はあの公園で見つかった。



俺が死んだ日。
彼女が死んだ次の日。
俺が彼女の気持ちを知った日。
BGM「罪人」supercell

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