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□歩いていこう生きていこう
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ぼやけた視界で世界を見ていた。歩く人、立ち止まって話してる人、犬、猫、エトセトラ。全てがバスの窓で流れていくのを、ぼやけた世界をぼんやりと見ていた。顔もその表情も声もぼやけていて、ほとんどわからないのと同じだ。鞄の中の、傷だらけの黒い眼鏡がちらちらと視界の端でバスの揺れと一緒に揺れた。

「(怒ってたのか、笑ってたのか、それとも何もなかったか。)」

朝、学校に行く途中に無造作に入れられた眼鏡は、今日一日鞄の中から出ていない。ぼやけた視界で彼女の表情が確認できるはずがなかった。僕は、ぼやけた視界のせいにして何もかもを、都合の悪いものを見ないつもりだ。例えば、今日返却されたテストとか、本当は嫌いなあいつの顔とか、…昨日想いを告げた彼女の表情とか。怖さとか憎しみとか汚いもの全部見ないようにぼやけさせて、僕は曖昧に笑った。ぼやけた世界じゃあ自分が笑っているのかすらわからない。自分の気持ちもぼやけるようで、自分で自分を一人にしたのかもしれないと思った。けれど、それでも良いとそう思えてしまうのだ。

「(硝子越しの世界に、僕は一体何を求めていたと言うのだろうか。)」

薄汚れた硝子の向こうの世界に、生き慣れてしまっていたその世界に僕は何を求めたのだろう。完璧な自分か?それとも、彼女が僕を愛してくれる世界か?
(そんなもの存在しない。わかっていた僕は世界をぼかした。世界に失望したから。わかっていただろう?最初から、そんなもの存在しないと。なのに何故失望する?僕はただ自分勝手なだけじゃないか。ただを捏ねる赤子のようだ。自分には心底失望したよ。ばいばい。)

そうやって自分すらもぼかして。そんなことしたって何にもならないのに、きっと、ぼやけた世界も硝子越しの世界も同じだと言うのに。薄汚れた硝子とぼやけた視界と、僕には二択しかない。どうやったって、純粋ではいられない。

「(なんつって、昔は早く大人になりたいと思っていたのに、今じゃあ純粋な子供の振りをするんだ。)」

それでも本当に彼女を純粋に好きでいるつもりなのだ。彼女が僕を愛してくれたら、薄汚れた硝子越しの世界も辛くないような気がしたのだ。ぼやけた世界でも、彼女さえ見えてれば良い気がしたのだ。でも、彼女がこんな僕を愛してくれるはずかないと諦めてる僕が、世界に失望した僕が、世界をぼかして僕に語りかける。

(ほら、知らない道は躓くから。険しい道は危ないから。いつもの安全な道を歩きなよ。ぼやけた世界でも痛い思いをしたいの?)

あぁ、きっとこれは逃げだ。弱いから戦わないし、怪我を避けるし、安全な方に行くんだ。じゃあ、じゃあどうしたら強くなれる?純粋なだけじゃ強くなれないんだ。愛しただけじゃ駄目だったんだ。本当は、殻に篭っていたかったんだ。彼女の笑顔なんて、見なければ良かった…?

「(本当にそうなのかな?)」

彼女が笑った瞬間、僕は確かに幸せを感じたんじゃなかったのかい?その笑顔を守りたいだとか、ずっとそばで見ていたいだとかそんな事よりも先に、心の中心で彼女の笑顔が好きだと思ったんじゃなかったのかい?
考えても考えてもわからない答えを、僕はずっと考えている。強くなる方法、彼女の気持ち、僕の気持ち。いっそネットで検索してみようかなあ出てくるわけないけど。

━━━…次は、○○公園前、○○公園前でございます。

ぼやけた世界でも、見慣れた景色はわかるらしい。寒そうな街路樹の周りを子供たちが走っている。多分、きっとあの顔は笑っているのだろう。僕だってあの頃はもっと世界と純粋でいたのに。はっきりした、ぼやけても硝子越しでもない世界を、純粋に…。否、今ではあの頃見えていなかった物が沢山見えるようになった。綺麗なものも、汚いものも。
プシューという音を立ててバスの自動ドアが開く。がらんとしているバスの中で外に出ることはわけなかったが、出た後に振り向く暇もなく閉まったドアの音がひどく寂しく感じた。特に依存しているわけではないのに。

「(歩かなきゃ)」

何があったとしても、世界は僕が立ち止まることを許さない。何があったとしても、僕らは歩かなきゃいけない。知りたくなくても知らなくちゃいけないし、疲れていても進まなきゃいけない。ふと、びゅうと追い風が僕を押す。まるで僕を動かそうとしているみたいで嫌気が差した。でも、だけど、なんだか少し優しい気もしたんだ。

「世界の馬鹿野郎」

まだ知らない彼女の気持ちとか、家までの道のりとか、風とか、眼鏡がなくちゃきちんと見えないこの目だとか、僕の気持ちだとか、わかってる気でいるからわからないのかもしれない。冷たい風が優しくて、硝子越しの世界は本当は輝いていて、この目は間違いなく僕の眼球で、気持ちはいくらでも変わっていく。わからない。当たり前だ。誰にもわかりはしないんだ、強くなる方法だとか気持ちだとか。

「(僕の未来も、変わると信じて。)」





歩いていこう生きていこう。君を好きな、僕の世界を。

(あれ、彼女から電話だ)


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