book

□歌うたいは
1ページ/1ページ




旧校舎最上階奥にある旧第三音楽室。ここからは、この学校の全体が見える。これから何処かに出掛けるのか、それとも家に帰るのかどちらかはわからないけれど軽い足取りでスカートをはためかせて歩く笑顔の女子生徒、一人で俯いて歩く男子生徒、皆が皆未来に向かって歩いているように見える。それがどんな未来であれ、彼や彼女らは歩かなくてはならないのだろう。そんな校門への一本道の脇に、大きな櫻の木が聳え立っている。その姿は何年経っても変わらない。僕らが幾らどれぐらい歩いても、世界が何周も何周も太陽の廻りを回っても、それは変わらないように思うのだ。この旧第三音楽室の窓からは、もうすぐそこにいる春を待ちきれないかのように蕾を沢山つけた櫻の木が見える。ふと、記憶が過って消えた。まだあれから2年しか経っていないのに、もう何年も過ぎたように感じるのはきっと彼女に会っていないからだろう。

「ねぇ高美ちゃん、写真撮ろうよ。一緒に。」
「えっうん」

あぁ、目を閉じたらあの時の外野の声すら聞こえてくる気がする。あれから、僕がこの学校を去ってから2年、明日は彼女らの卒業式だ。今頃教室で写真を撮り合ったりしているのだろうか。楽しそうだなぁなんて、思う位なら混ざれば良いのに行かないのは彼女に此処に来て欲しいから。僕、日野紫音は、2年前までクラスメイトだった西院高美に恋をしていた。今も、2年経っても忘れられない想いは僕の心のなかで脈を打っている。

「紫音は歌うまいよね」
「そんなことないよ?僕は高美の歌、好きだな。」
「ははは」

初めて彼女を好きだと思ったのは、笑顔を見たとき。次は歌を聞いたとき。その次は内緒話をしたとき。それから、彼女の書いた小説を読んだとき。彼女が怒ったとき。彼女が恥ずかしがったとき。彼女が何かを好きと言ったとき。そして、彼女が歌ったとき。

彼女の笑顔も歌も世界観も、僕を引きずり込んだ。僕を泣かせ、僕を笑わせ、僕をときめかせた。胸が苦しくて、苦しくて苦しくて辛くさせた。伝わらなくて、笑っても泣いても駄々を捏ねても甘えても愛しても伝わらなくて。僕は、歌うことにした。彼女が褒めてくれた歌を歌うことにした。それから僕は歌うたいになったのだ。彼女への愛を叫ぶために。僕は、この学校を去って歌うたいになったのだ。けれどこの学校は芸能活動は禁止されていたから、僕は学校を辞めて歌を歌うだけで生きることにした。彼女への愛を大事に大事に抱えて、未来へ歩き始めた。違う道を歩いてもその先に彼女がいると思いたかった。

愛してる。大好き。キスしたい。
そんな言葉じゃ足りない僕の愛を、世界は喜んで聞いてくれた。情熱的と言って、切ないと言って、色っぽいと言って、美しいと言って僕を見るようになった。

(世界などいらない、彼女だけが欲しい。今日はその願いを叶えに来たのだから。)

━━━♪

最後に聞いた彼女の歌う歌を、思い出す。愛する人を想う歌、愛する人をわかりたいと言う歌。その歌を僕に歌って欲しかった。誰でもない彼女に、世界で一人の僕は歌って欲しかったのだ。きっとその瞬間だと思う。それまで中途半端に愛してるだの大好きだの言っていた僕の心が落ちたのは。

「早く来てよ。」

軋んだ廊下に足音が響く。僕はその音に2年ぶりに会う彼女の笑顔を浮かべた。綺麗になっているだろうか。歌うたいになった僕からの呼び出しのメールに驚いただろうか。何にしろ、もう彼女への愛の音は用意できている。

ドアが開くまであと3秒


歌うたいは君が好き


(紫音!!)
(やあ、久しぶり。)
(仕事は?て言うかなんで此処にいるの!?)


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ