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□雨降る春の街に
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春の雨は冷たい。
足先から冷えていくような、何かに浸っていくような、そんな感覚に陥る。
浸水。溺水。溶水。
浸って溺れて溶けていく。私自身もこの冷たい春に溶けていくように、ありもしない体温は下がっていくのだ。足の爪先から、指先から、ふくらはぎを伝って冷たさは体に染みていく。ぱしゃんと踏んだ水溜りは泥で濁っていた。それはまるで私の心のようで、また、心はだんだんと蝕まれるように冷えていく。
「(あ、桜の花びら。)」
水溜りの少し先の足元。黒いコンクリートに無数の桜の花びらが散っていた。ふと視線を上げれば立派な櫻の木がそこにいる。そうして気が付いた。私はたどり着いたのだ。この櫻の木のある、街が一望できる坂の頂上に。私はここに来て、雨の降る街を見たかったのだ。
春の雨は、好きだった。
ひたひたと降る雨が、私を落ち着かせてくれるから。
私の顔に降り注ぐ雨が、私の涙を隠してくれるから。
雨が、私を包んでくれるようだったから。
春の雨は、嫌いでもあった。
その冷たさに、寂しさと虚しさを感じるから。
いつも明るい街がひどく静かになるから。
雨は、私の心を孤独にするから。
パシャン、と。水溜りを思い切り踏んで櫻の木に駆け寄ると、雨の街がもっとよく見えた。
「街が泣いているみたいだ。」
しとしと。ひたひた。たまに吹く風が、木々を泣かせる。
私が愛した街は、静かに静かに泣いていた。
私を失った街は、
私が消えたこの小さな街は、泣いていた。
それでもきっと、明日になって晴れたら以前のように動き出すのだろう。陽は街を隈無く照らし、人々は愛らしく笑って、多色な音が駆け巡るのだ。
「(それでいい。それで良いんだ。この街は明るくあってほしい。)」
そう願う。私はそんな街が好きだったのだから。この街に生ける人々を愛しているのだから。
雨降る春の街に
私の風が吹くことはもうないけれど。
(今日は私が……)