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□弱虫の自傷行為
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何度も、死のうと思ったことがある。
親を泣かせる人間など、兄弟に憎まれる人間など、友を欺く人間など、誰にも必要とされない人間など、

好いた人に、好かれない人間など、

いくらそう思っても生きているのは、やはり私が弱い人間だからなのだろう。
それは、もちろん身体的な意味でもあるのだけれど、やはり精神的な意味で、のほうが私らしいと思う。今健康で、ものを食べ、眠り、身体を動かしているうちは、やはり弱いのだ。本当に弱くなる勇気など持ち合わせない。ただの弱虫なのだ。

実の話、私は自らの肌に刃を添えたことがある。だけれど、それはただの静電気のようなものだった。やはり私は弱く、なにか、どころか自分を傷つけることすら出来ないらしい。蚊に刺されたときは思いっきり自分を傷つけられると言うのに、だ。本当に、あほらしい話である。

そんな私が、昨日、腕に歯形をつけた。一つではなく、いくつも、だ。右腕に五つほどと、右肩にひとつ、左腕には六つあっただろうか。もうその朱は跡形も泣く消えたけれど、痛みはまだ心に残っている。小さくて、整った歯型。いや、それは間違いなく自分のものなのだけれど、そうやってカタチにして見てみると、想像以上に整っていた。母が手と金をかけてくれたおかげだ。本当に両親には感謝してもしきれない。

所謂、自傷行為のようなものだった。食いちぎれるかと思ったが、案外伸縮性があった。これまた親のおかげで、私の肌は普通の人よりもとてもキメ細やかく白いのだけれど、やはりそこは私の歳ゆえか、なかなか丈夫だった。それにもかかわらず、とても痛かった。私は痛いのが嫌いだ。手首を切ろうとしたときも、痛くてやめた。痛感から快感への変換は、セックスぐらいでないとできないらしい。ほんと、馬鹿の極みだ。

『好きだよ、』

最中のあの人の言葉がよみがえる。快感はすぐ忘れるくせに、こういう事はきちんと覚えているから厄介だ。忘れたいのに、忘れられない。憎たらしいったらない。あの人のように「次の」好きな人でも作ればよいのだけれど、そう都合の良いようにいかないから、世の中なんて大嫌いだ。

「次に私を抱くのは誰だろう。次に私を見えない手錠で縛って、傷つけ、痕をつけ、私の歯形をなめるのは、誰なんだろう。」

私は、その人を好きになれるだろうか。
今度こそ、好きな人に嫌われずに、
今度こそ、その人を嫌わずに、
今度こそ、孕めるだろうか。








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