夢小説
□序章
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-安政6年6月-
ザアアアァァ……
冷たい。
体が重い。
もう、動けない。
「大丈夫か、君!?」
男の傘で、打ち付ける強い雨が遮られた。
何か答えなければ、いけないのだろう。
しかし、声どころか、指一本すら動かない。
「どうしたんだ!!何があった!?しっかりしろ、君は……」
男の必死の声が遠ざかる。
梅雨の雨の冷たさに奪われていく体温。
やがて、何も感じない。
***
私は瞼をゆっくり持ち上げた。
−−−…あぁ、私は生きている。
瞳に映るのは、何処かの部屋の天井。
スゥー…
開かれた襖から、誰かが入ってくる。
雨の時の傘の男だ。
「どうだ、調子の方は?」
そう言って、私の目の前に座って、お粥を差し出してきた。
「まずは、これでも食ってくれ。」
私には理解できなかった。
何故、見ず知らずの他人の面倒を見ているのか、を。
そもそも、私はどうして倒れていたのだろう。
何も思い出せなかった。
住んでいた場所も、家族も、何をしていたかすらも。
ただ唯一覚えているのが、自分が”藤咲 八雲”であるということ。
もちろん、確かめる術はない。
根拠はないが、言いようのない絶対の自信があった。
「君はどこから来たんだ?」
男の質問に答えられない私は黙る。
「何をしていたんだ?」
また私は黙る。
「………!!
…紹介が遅れてすまないね。
俺は、近藤 勇。
君の名前は?」
男は黙り込む私に優しく問いかける。
「藤咲 八雲。」
「八雲…か。
いい名前だ。」
近藤は慈しんで、その響きを愛でた。
私から、それ以上聞き出すことはしなかった。