In the end

□初
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ヒロイン視点



夜勤中、診察室から明かりが漏れていて。先生がまだ帰っていないことに気づいた。


『先生?』


ドアを開ければ白衣が椅子にかかっていて、彼自身は診察台で横になっていた。

大方仕事が押して帰りが遅くなったから、車の運転も危ないし仮眠してから帰ろうとしただけだろう。

足元に畳まれたままの毛布を彼にかけて、ふと、脱ぎ捨てられた白衣を手に取る。
それをハンガーに掛けようとして…魔が差した。


(先生の、匂い)


白衣に顔を埋めれば、消毒液に紛れて微かに違う匂いがする。
柔軟剤と、石鹸と、シャンプーと、彼の部屋の匂いが混ざったような…
いや、先生の部屋なんて入ったことないんだけど。院長室がこんな匂いだった気がした。


(宮田、先生)


後輩ナースの恩田が、最近彼に惚れ込んでいる。
語りこそしないが、あれは恋する目だ。
同じ感情を持つものとしてそれくらい解る。
彼女は美人だし、若くて明るい。
そんな彼女に勝てそうもない私は、この片思いを沈めようと思う。


『好き…』


最後にぎゅっと白衣を抱き締めて。
自分で紡いだ言葉を払うように、皺を伸ばしてハンガーにかける。


「直接言ったらどうですか」

『!?』


そんな行為を。
寝てる筈の本人に目撃されるなんて思いもしなかった私は、飛び上がる程驚いた。


『あ…起きて…』

「ええ」

『…いつから?』

「貴女が毛布をかけてくれたときからですね」


つまり、最初から。


『……失礼しました、夜勤に戻ります』

「待て」

『お休みを邪魔してすみませんでした』

「待てと言っている」

『…っ!』


診察室から駆け出そうとする私の腕を掴んだ先生は、真っ直ぐこちらを見つめていた。
やめて、そんな目で見ないで、射抜かれる。心臓が破裂しそう。先生内科医なんだからそうなったら専門外でしょ。


「直接言えと言ったでしょう。でなければ返事も出来ない」

『……無理、です……忘れてください』

「……。じゃあ、私が好きだと言ったら言ってくれますか」

『…へ?』


診察台に座る先生は、私の腕をおもいっきり引っ張った。
私はそのまま先生にぶつかりそうな勢いで引き寄せられて、ああ、もう、心臓止まりそう。


「…好きですよ、黒田さん」


夢か。幻聴か。
私の心臓は既に止まってるんだろうか。
宮田先生の声が、私を、好きって言った。


『好きです…宮田先生』


夢なら醒めるな。
既に死んでいるなら何も恐れることはない。

張り詰めた糸を切るように、溜め込んだ水の淵が決壊するように。
言葉が零れた。

泣き出しそうな私の頬を、先生は満足げな顔で撫でる。
それから、いつもの抑揚のない声に、僅かに温もりと優しさを滲ませて。


「…ずっと、その言葉が聞きたかった」


そんなことを言うから。
おずおずと、頬に添えられた手に、自分の手を重ねる。


『……私なんかでいいんですか』

「貴女がいいです。貴女だけは…」

『…?』

「…夜勤付き合いましょう。明日は休診日ですし、今日は傍にいたい」

『…っ、でも、お疲れじゃ…』 

「疲れが吹き飛ぶくらい良いことがあったので、大丈夫です」


彼が途中、何を言いかけたのかは分からなかったけど。
ご機嫌な様子で立ち上がった彼は、私が先程ハンガーにかけた白衣に袖を通す。
そして、


「今度は白衣じゃなくて、中身にお願いしますね」


なんて腕を広げてみせた。
甘えん坊ですか、ドSですか。
私の心臓はもう本当にいっぱいいっぱいなんです。
好きな人に触れるのがどれだけ尊くて怖いことだと思ってるんですか。
白衣を手に取ったときから懺悔したい気持ちでいたのに!


『…離れるのが名残惜しくなるので、仕事終わりで…』


しどろもどろになりながらも、そう伝えて後ずされば。
先生は腕を下ろす代わりにつかつかと歩み寄ってきて。


「その言葉、忘れないでくださいね」


と、やっぱり私の頬を撫でたのだった。



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