血界戦線

□2人目の義眼保有者
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「神々の義眼保有者の子供をねぇ……可哀想なことにならなければ良いけどね」




そう、可哀想なことにならなきゃ良い。

あの人のように。






男は超人秘密結社ライブラの副官として親友でもあるリーダーを支えてきた。
しかし、それはライブラを作ると決めた後からの話だ。
もちろん、親友との親交はあったが、どちらも対血界の眷属の人間としての働きがあるため、数ヶ月に一回会えれば良いくらいの頻度だった。


男…スティーブン・A・スターフェイズはライブラが出来るまで…否作ろうと画策するまで世界中を旅するように牙狩りとしての己を高め微力ながら世界平和を手助けしていた。

血界の眷属が出たと噂を耳にする度にその国へ街へと移動した。




この世には必然しかないのだという。
スティーブンがその田舎町にたどり着くのもやはり必然であり運命と言っても大袈裟ではなかったのだろう。

そうしてある青年と出会うのもまた必然だったのだろう。

青年はその田舎町で暮らしていた。
青年との出逢いはその田舎町にある美しい湖が見渡せる場所であった。
青年は幼い少女を乗せた車椅子を支えながら美しい湖を見つめていた。
斜め後ろに立つスティーブンからは青年の細い糸目が開き美しい青がちらりちらりと見える。その光景にスティーブンは言いようのない感動を覚えたのを今でも覚えている。


その青年と妹だろうか…子供ではないと思うが体格からは一回りは確実に年の離れた2人だとは分かった。


2人以外の人の気配をさせない美しい湖。
それを静かに見つめる2人。
ちらりちらりと覗く青い瞳。
まるで絵画のような、切り取った写真か何かのような光景は湖よりも美しく感じられた。


牙狩りとして戦っていたスティーブンは自分が思うよりも心身共に疲れていた。
そんな彼の目の前に広がる2人の姿は彼を癒すのに十分な光景だった。
何かわからない自分の中を擦り切らす日々。
知らぬ間に削れたそれを彼らはそこに居るだけで癒すどころか満たし、彼の中の何かをついには零れさせる。

スティーブンは気付けば泣いていた。
自分が泣いている自覚もなく涙をただ流すかのように泣く。
自分の中から溢れたそれが涙になっている事に彼は気付かなかった。

ただ必死に目の前の光景を目に焼き付けることだけを本能的に行うことしか考えていなかったのかも知れない。


そんなスティーブンに青年はいつから気付いていたのか。
青年は少女に声をかけ、車椅子のストッパーで車椅子が固定されたのを確認するとスティーブンのほうに身体ごと向いた。
そして困ったような顔をしてポケットから取り出した清潔そうなハンカチをスティーブンに差し出した。

スティーブンはもはや自分がどういう状況で訪れ、ここに立っていたかも朧気だったが、身体はまるで自動化するように青年からハンカチを受け取った。
しかし、それだけだった。
未だスティーブンは泣いていることなど気付いてなかった。
渡された清潔な手触りのハンカチをただ手に持つだけ。

むしろ、ぼんやりとプレゼントだろうかと考えていた。
クリスマスプレゼントにはまだ早い。
誕生日プレゼントには遅すぎる。
これは何だろうと首を傾げた。


青年はスティーブンの様子にその隠された青をちらつかせ、やはり困ったように、そうして今度は笑った。
湖に反射した光を背に笑う青年に、スティーブンは再度目を奪われるとスティーブンは完全に固まってしまった。
青年はとうとう困って渡したハンカチをスティーブンの手から抜き取ると、まるで幼子相手のように優しくスティーブンの頬、目元を拭いた。

そうしてスティーブンは初めて己が泣いていることに気付くのである。


幼少期から厳しい修行に耐え、現在まで牙狩りとしての己を全うしてきたスティーブンは己が泣ける人間だと知らなかった。
だから濡れたハンカチを持つ青年にスティーブンは驚いた。

そうして、何か感極まって何かが振り切れたスティーブンは青年を己の腕の中に閉じこめるように抱きしめ再度泣いたのだ。

青年は体格こそ違いはあれど、年齢は自分と同じか少し下のスティーブンにいきなり抱き締められ再度青をちらつかせたが、すぐに身体から緊張を逃がしてポンポンとやはり幼子相手のようにスティーブンの背を優しく叩いてくれた。

それはスティーブンが今まで殺してきた涙全てを流させるかのようで。
結局溜めた涙分を流しきるように泣くスティーブンが泣き止み、我に返るまで続いた。



『っ…ご、ごめん』


『いえ、泣きたいときは泣けばいいんです。』



泣いても良いんですよ。
その時は自分でよければ胸…否肩を貸しますよ、と自虐を入れつつも青年は柔らかく笑った。

そうして、スティーブンから離れると一人背を向けさせ続けた少女に謝り、ストッパーをやっと解除させた。
それまで首を向けることもなかったから青年に何か言われていたのかも知れない。

わりと長い間背を向け続け、放置されたのだ。
怒っても良いし、むしろ癇癪を起こしても不思議ではない年の少女は青年に笑いかけると、車椅子の向きをこちらに変えてもらう。
そうしてやっと初めてスティーブンと目を合わせると、よろしくと挨拶をくれた。

利発そうな雰囲気をした少女は青年とは髪質は異なるが滲み出る空気が同じ眩しさをしていた。


改めて美しい2人だと思った。見た目だけではない、雰囲気すら美しい2人だった。





それからスティーブンと青年、年の離れた青年の妹と仲良くなるのに時間は掛からなかった。
そうしてスティーブンは血界の眷属の情報収集という大義名分を理由に街に留まり続けた。
普段のスティーブンならもはやそうそうに見切りをつけ、次へと移動しただろう。
しかし、大して成果のない情報収集を理由に、スティーブンは街から離れるのを拒んだ。
幸い今までのこともあり、スティーブンは無駄なことをしないと牙狩り本部に思われていたようで、街に留まるスティーブンには疑問すら抱かなかったようだった。

初めて真面目に行動していて良かったとスティーブンは思ったし、今までの苦労はこの為にあったのだとすら思った。


本部からも大して干渉もないとくれば3人での行動は誰も咎められず、3人はまるで古くからの友人のように日々を過ごした。


そんな日々の中でスティーブンが青年に惹かれるのは自然で必然だったのかも知れない。

けれど告げるつもりもないし、表に出したつもりもなかった。しかし、妹は何枚も上手だったらしい。



『お兄ちゃんに告白しないの?』


『?!…な、んのこと?』


『ふふ、誤魔化しが下手だわ』


『……彼は』


『気付いてないでしょうね!だってお兄ちゃんよ?』



なるほど深くにも納得してしまった。
それほど青年は鈍いのだ。
青年は誰にも優しいから…優しいだけならまだいい。しかし青年の優しさは駄目なときは駄目といえる優しさだ。
だからこそ男女関係なく周りは青年に虜だった。
けれどほとんど青年に伝わってないのは街を3人で散歩した時にも理解していた。
妹の方は向けられる感情に気付いていたのに。
…余談だが2人は街では高嶺の花であった。



『で、告白は?』


『しないよ』



男同士なんだけど、とか君はそれでいいのか、とかむしろ何で上手くいく前提のいつ伝えるの?なのか、とか色々あったがスティーブンは言葉にはしなかった。
ただ続けるように今幸せなんだとスティーブンは笑った。

だから伝えるつもりは無かったし、このまま3人で居られたらと。

そう思っていたのに、罰が当たったのだろうか。



それは幸せな日々に突然現れた。
いつもの湖で、いつもの3人だけの世界にそれは本当に突然現れたのだ。

ソレはいきなり現れると言った。


見届けるのはどちらだ、と。


それはまるでスティーブンなんか居ないように大切な2人にだけ聞いた。
聞こえたのはそこまでだった。
それ以降はそこに居るのは辛うじて見えたが、むしろ見せてやるだけだと言っているようで。
まるで見えない壁に遮られたかのようにスティーブンの技も届かなければ声も届かなかった。


そうして、スティーブンが関わることも出来ず2人は一方的に選択を押し付けられた。



一方的に押し付けられた、それが『神々の義眼』と言うのだと知るのもまた時間は掛からなかったし、それからは大変だった。
どういう選択のもと、押し付けられたかは、スティーブンは目の前に居たくせに最初の一言以外聞くことはできなかったが、そんな得体の知れない物を身に押し付けられたのは密かに恋い焦がれた青年のほうであった。

納得出来なかった。
無理やりあの美しい本来の青を奪われ偽物じみた蒼に変えられたことも。
妹がその対価によって、青年とは色味の少し異なる青が暗く塗りつぶされたことも、納得出来かなかった。

けれど大変なのはそれだけではなかった。

流石伊達に『神々の』というだけあって一般人である青年には重すぎる品物だった。
否、誰にすら重すぎる品物だろう。

妹の視力を犠牲にして、押し付けられた神工品は青年にとって精神的にも肉体的にも辛い品物だった。
自己嫌悪と視えすぎることによる情報過多に青年は何日も吐きながらのたうち回って。
ただ妹に謝りながら苦しんで。
妹が居ないときには、いっそ殺してくれと泣いているのをスティーブンだけは知っていた。
だからスティーブンは青年が消えてしまわないように己の服が汚れるのも気にせず、苦しむ青年を抱き締めながら一緒に泣いたのだ。

少しでもこの青年が救われるようにと。


そんなひどく長く感じる日々は終わりを迎えた。
青年が神工品を押さえ込んだのだ。

けれどだからこそ油断は許されなかった。
スティーブンは己が牙狩りに身を置く者だと思い出し、これは格好の獲物になると気付いた。
だからスティーブンはこの青年を、妹を、守れるように一層2人から離れるのをやめた。
しかし、このままスティーブンが留まり続ければ、すぐに彼らは碌でもない奴らに見つかってしまう。
スティーブンは信頼の置ける者を慎重に選び、数人だけ集めた。
それがまさか数年後の私設部隊となるとは思わなかったが、スティーブンは必死だった。

その数人にでさえ細部にまで渡るような詳しい事情は話さず、自分が2人を守れるように、街を出たように見せかけてくれと頼んだ。
転々と移動するようにも頼んだ。
信頼の置ける者たちは了承してアリバイに一役かってくれた。


そうしてやっと本当に安心できる日々が帰ってきた。
やっと以前のような穏やかな日々。
そんな時だ。
青年から告白されたのは。
しかも、まさかの愛の告白だった。
スティーブンは夢かと思った。
なんて都合の良い夢。
大いに喜んだ。
だが、これが青年の気の迷いだったら?ともすぐに思った。

そんなのは耐えられない。
だから逃げようとした。
しかし、青年もまた上手だった。
何故、愛の告白の場に妹が居るのかとは思ったが、理由はすぐに分かった。妹は逃げようと画策するスティーブンが行動するより先に叫んのだ。


『お兄ちゃんを一番に理解してるのは私よ!お兄ちゃんのは気の迷いでもない!逃げたら許さないんだから!』


『…はい』


『やっぱりついて来てもらって正解だった。…ねぇ、だからスティーブン…否定しないで。…君が好きなんだ』


『…夢じゃないんだよな。…俺も…君が好きだよ、愛してるんだ』



青年はあの最初に会った日のように柔らかく笑って、スティーブンはやっぱり堪らず青年を抱き締めた。


それからは恋人と妹というセットになった。
大して何か変わったわけではない。
相変わらず3人で一セットだった。

それでも時折、スティーブンと青年の間には甘さが滲み、妹はより一層幸せに笑った。
それくらいの変化だった。

本当に幸せだった。
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