小説(3冊目)

□悪戯な儀式
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「はい、恵方巻きよ。召し上がれ」
 節分の夜、渋谷家の夕食に招かれた村田は有利と並んで食卓に着き、皿に載せられた太巻きを手に取った。
 ちなみに家長・勝馬は接待で、長男・勝利は合コン真っ只中だ。
「今年の恵方は南南東だよね」
「んーと、じゃああっちかな?」
 座ったまま方向修正をして2人揃って目を閉じる。
「いただきます」
 見事にハモって同時に齧り付いた。
「……」
「……」
 食べている間は一言も発してはならないという習わしのため、村田も有利もただひたすら咀嚼を繰り返す。
 美子はその様子を眺めながらクスリと微笑み、他のおかずを準備するために席を外した。
「……」
 村田はふと悪戯心が湧いて、片手を太巻きから離した。目は閉じたまま、感覚でその手を有利の背筋に当てる。
 そして人差し指だけをついっと滑らせた。
「うひゃっ!」
 有利は反射的に背を反らせ素っ頓狂な声を上げた。椅子から飛び上がりかけた拍子に手の中の物を取り落としそうになり、慌てて掴み直す。
 多少変形しかけたが何とか無事だ。
 弾む鼓動を宥めながら開いてしまった目で睨みつけると、村田は我関せずという顔で食べ続けていた。
「この……」
 怒りに頬を引き攣らせた有利は食べかけの太巻きを皿に戻す。1つ深呼吸をしてから両手を伸ばし、太巻きを持っているおかげで無防備な村田の脇に触れる。
 そのまま肌を掠めるように指を動かして擽った。
「ぶっ、あははははは!」
 途端に村田が噴き出して擽ったさに身体を捩る。口の中に残っていなかったのが不幸中の幸いだ。
 笑いながら視線を流し、太巻きから外した片手で有利の腕を掴んだ。
「も……やめろって!」
「おれを驚かせた罰だ」
 村田に声を出させる事で満足した有利は、あっさりと手を離して舌を出した。
「全くもう、喋っちゃったじゃないか」
「元はと言えば村田のせいだろ」
「これじゃ神様守ってくれないな」
「じゃあもう1本食べる?」
 キッチンから戻ってきた美子がおかずの載った皿を2つテーブルに置きながら問いかけた。
「うまちゃんとしょーちゃんの分がまだあるし、食べちゃっても構わないわよ」
「いえ、遠慮イタシマス」
 村田も有利も謹んで辞退した。
 育ち盛りの2人だが、さすがに2本も入る余地はなさそうだ。
 そーお? と少し残念そうに首を傾げた後、美子は再びキッチンに戻る。その足音が消えてから村田は軽く息を吐いた。
「ま、いいよ。神様じゃなくて渋谷に守ってもらうから」
「ええっ!?」
 予想外の発言に有利が驚き目を見開いた。村田はそんな有利を楽しげに見る。
「遠くの神様より近くの魔王様って言うだろ?」
「言わないから」
 いつもの癖でツッコミながら有利が眉を寄せると、村田は笑みを深めて顔を近付けた。
「期待してるよ、魔王様?」
「……じゃあお前もおれの事守れよ。世の中ギブ&テイクだろ」
「任せときなって」
「調子いいなぁ」
 密やかな誓いを交わして村田がそっと有利の頬に口付ける。
 至近距離で見つめ合い、2人は溢れる笑みに身を任せた。



end
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