小説(3冊目)

□チョコレート遊戯
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 予想を超えた出来事に、僕の頭は一瞬真っ白になった。



 学校からの帰り道、先に到着していた渋谷は駅前で僕を出迎えてくれた。
 愛用の自転車を脇に立て、自分は柱に寄り掛かっている。
 今日はバレンタインデー。恋人達にとっては特別な日だ。
 でも、この光景はいつもと何ら変わらない。
「お疲れ、村田」
「渋谷、早かったんだね」
「自転車だからな」
 声を張らなくても聞こえる距離まで近付くと、渋谷は歩き出すために自転車のハンドルを掴みスタンドを跳ね上げようとする。
 僕はそれを押し止めて、鞄から箱を1つ取り出した。
「はい渋谷、バレンタインチョコ」
 水色と白で包装されたチョコレートを渋谷はキョトンとした顔で受け取った。忙しなく瞬きをして、手の中にあるチョコを見下ろす。
 パニクっていた頭がようやく意味を認識したようで、頬を赤く染めた。
「村田、おまっお前こういうのは家で渡せよ!」
 こちらを注目してる人なんて誰もいないのに、慌てた様子で周囲を見回している。僕は1つの可能性を示唆して肩を竦めた。
「だってさぁ、今日家に行くとは限らないじゃないか」
「ん、来ねぇの? 何か用事?」
「いや、行くけど」
 渋谷が本気で受け取って首を傾げるので、互いの家に行く事が当たり前となっている事実に幸せを感じながら僕はアッサリと否定した。
 ジェニファーさんからのチョコも楽しみだしね。
「やっぱ来るんじゃねぇか」
 ガクッと肩を落とす渋谷が可笑しくて、軽く肩を叩いて宥めてやる。渋谷は半眼で僕を睨め付けてから、まぁいいけどさと溜め息を吐いた。
「ついでだからおれもやるよ」
「何?」
 おもむろに自転車のカゴから鞄を取り上げ蓋を開ける。中から探り当て、手渡された物はポッキーだった。
 枝のように細いプレッツェルをチョコレートでコーティングしてあるアレだ。
 意図が判らずポカンとしていると、渋谷は眉を顰めて口を尖らせた。
「何だよ、いらねぇの?」
 拗ねたような渋谷の顔が少し赤い。多分寒さだけのせいじゃなく。
 脳が徐々に再起動を始める。
 このポッキーは渋谷からのバレンタインチョコなんだ。
 赤いパッケージには包装も飾りもない。でも彼の性格からして購入するのもいっぱいいっぱいだったに違いない。
 嬉しさが込み上げて胸が熱くなる。
「サンキュー渋谷!」
 思わず渋谷の身体を抱き締めていた。人目があるのでキスしてしまいたい衝動は辛うじて堪える。
「コラ、抱き付くな!」
 渋谷が焦って僕を引き剥がそうとしている。両方の掌が痛い程に胸を押す。
 過剰なまでの反応を微笑ましく、ほんの少し疎ましく思いながら、僕は大人しく身体を離した。
「友達同士でじゃれ合うなんて普通だろ」
 きみは男同士ってのを意識するあまり境界が判らなくなってるんだよね。意識されてるっていうのは喜ぶべき事だと思うけど。
「ん? そうか?」
 案の定眉を顰めて考え込み始める。それをいい事に一層混ぜっ返し、僕は微かに生まれた暗い気持ちを誤魔化した。
「そうそう、フォンクライスト卿だってよくやってるじゃないか」
「あ、あれは違うんじゃないかな……」
「ホラ、寒いから帰ろ」
 渋谷が混乱して抵抗出来ない内に腕を絡め取る。上着の柔らかい感触が手に伝わってくる。
「村田が引き止めたんだろ。っつか待てって!」
 歩き出した僕に引き摺られかけて、渋谷は慌てて自転車のスタンドを蹴り上げ方向転換した。腕を組んだまま2人で自宅方面に向かう。
 渋谷の暖かさを感じながら、僕はずっと振り解かれる事のない幸福を抱き締めていた。
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