小説(1冊目)

□孤独の特効薬
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 腫れぼったく思い瞼を開く。ぼんやりとした視界に見慣れた天井。
 額に貼り付けた冷却シートはすっかり生温くなっていて時間の経過を伝えてきた。
 ……怒ってるかな、渋谷。
 野球観戦の約束、すっぽかしてしまった。本当は僕も楽しみにしてたんだけどね。
 いや、野球そのものというよりも渋谷と一緒に過ごせる時間を。
 欲求の赴くままに再び目を閉じると遠くで物音がする。もしかして母さんが帰ってるんだろうか?
 こんな時間に家にいるなんて珍しいなと思っていると、部屋のドアがノックされた。
「村田、起きてる?」
 気遣うような密やかな声。あれ、これって……。
「渋谷!?」
 思わず飛び起きると熱の下がりきっていない頭がクラッと揺れる。静かにドアを開け顔を覗かせたのはまさしく渋谷有利その人だった。
「渋谷、何でここに……」
「何でって、見舞いに来てやったんじゃん」
「だって試合は?」
「病気の親友ほっぽって行く程おれは薄情じゃねえよ」
 それに前売りチケット買ってた訳でもないしな、と渋谷は何でもない事のように軽く笑った。
 あぁ、きみはそういう奴だよな。
「な、お袋がおじや作ったの持ってきたからさ、食わねえ? どうせ村田の事だから何も食ってねぇんだろ」
 図星だ。朝から食欲がなく、常備薬を飲む為の水以外何も口にしていない。
 でも渋谷の顔を見ていたら、少しだけ食欲が湧いたような気がする。
「せっかくだから頂こうかな」
「そうこなくっちゃ」
 ニッと笑う不敵な表情に安堵が見えた。心配してもらえて嬉しい、なんてちょっと不謹慎かな?
「じゃああっためてくるから。台所借りるな」
「待って、僕も行くよ」
 ベッドから距離をとった渋谷を追いかけるためにふらつく足を床に下ろした。サイドボードに置いていた眼鏡を掛けそこら辺に投げてあったカーディガンを羽織る。
「熱あんだろ。寝とけよ」
「渋谷に任せといて火事になったら困るしね」
「しねぇよ。失敬な」
 僕の軽口に一瞬憤慨したような顔を見せて、すぐに苦笑に変えた。拒絶されなかった事にホッとして気付かれないように息を吐き出す。
 渋谷と離れていたくないんだ。
 きっと僕は今、身体だけじゃなく心まで弱ってるんだろうね。風邪のウィルスで。
 不安に巣食われ普段は気にならない孤独感が重く圧し掛かる。
 何の気なしに見舞いに来てくれたんだろう渋谷が希望の光とさえ思えた。
「じゃ、行こか」
 肩をそっと押して促す。渋谷は何故か僕の顔を見つめたまま動かなかった。
「渋谷?」
「村田……あのさ……」
「どうしたの?」
 言い難そうに視線を彷徨わせた後ポツリと呟く。
「……寂しいんだったらそう言えよ?」
「はあ!?」
 予想外の言葉に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。ポカンとしていると渋谷は慌てたように言い募る。
「だ、だってホラ、病気の時って心細くなるもんだろ。村田んち今誰もいねえみたいだしさ。いっつも野球付き合せちゃってる訳だし、おれも話し相手くらいだったらなれるからさっ」
 ……参ったなぁ。
「全くきみは……」
 何で僕の考えていた事が判ってしまうんだろう。
 何て……いい奴なんだろう。
 押し付けではない優しさで僕を包み込んでくれる。
「そういう渋谷が1番の特効薬だよ」
 本当に。傍にいるだけで元気を分け与えてくれる。
「あ、まさかお前まで双黒は妙薬になるとかいうガセを信じてんじゃないだろうな!?」
 僕と秘密を共有するあちらの世界の魔王はそう混ぜっ返した。……いや、渋谷の事だからもしかしたら本気で言ってるのかもしれない。
「その説でいくと僕も薬になるって事だよねえ?」
「あ、そうだよ! 村田大賢者様だもんな! おれなんかより全然効きそ……」
「しぶやくーん。きみはそんなに風邪をうつしてほしいのかなー?」
「ひてて、頬引っ張んなって。がっきゅーうん……」
「……パブロフだね」
 日本人の条件反射に呆れて手を離すと渋谷は赤くなった両頬を擦る。目が合うと今度は笑いが込み上げてきて2人同時に吹き出した。
 頭の芯に残る疼痛を忘れて、僕達はしばらくの間笑い合っていた。



「そういや村田、玄関の鍵開けっ放しだったぞ」
「げ、マジで? 泥棒に入られてなきゃ良いけど……」
「結構金目の物ありそうだもんなぁお前んち。まぁおれは待たずにお邪魔出来て助かったけどな」
「そう? じゃあ良いや」
「いや良くねえだろ」
「僕にとっては渋谷が最優先事項なんだよ」
「……おれは被害の弁償なんか出来ねぇぞ」



end
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