小説(2冊目)

□神聖なる赤
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「痛っ」
「どうしたの?」
「指切った」
 僕の部屋で宿題を見てやっていた時だった。
 教科書を捲ろうとした渋谷が小さく悲鳴を上げ顔を顰めた。どうやら紙の端で指先を傷付けてしまったらしい。
「渋谷ってホント器用だねぇ」
「ほっとけ」
 呆れて溜め息を吐くと拗ねて顔を背ける。その間にも傷口から浮かび上がった血が指を伝い筋を描こうとしている。
「あーほら貸して」
「ちょっ村田……」
 止血をしてやろうと渋谷の手を取り人差し指を咥える。焦って逃げようとするその手を押さえつけ、ゆっくりと舌を這わせた。

 口の中に血液独特の鉄臭さが広がる。けれどトロリとどこか甘い。
 これが渋谷の血。
 これが禍々しき力を解放するための――神聖なる鍵。
 この血を全て吸い尽くしたら、この世界はどうなるだろう。
 いや、この仮定は非現実的だし、吸血鬼でもない僕には不可能だ。
 何より、彼との約束を反故にする事になる。そうすれば長い年月を掛けてきた全てが無駄になるだろう。
 ……それでも僕は渋谷が欲しい。
 血も、肉も、魂さえも貪り尽くしてしまいたい。
 きみさえいればこの世界なんて――。

「むーらーた、いつまでおれの指舐めてんだよ」
 渋谷の声に暗い思考を遮られた。姿勢を変えずに視線だけを向けると、渋谷は真っ赤な顔で困ったように眉を寄せている。
 思わず喉の奥で笑った後、湧いた悪戯心に思案を巡らせた。
 そんな顔見せられたら、ただ放すなんて勿体無いからね。
 渋谷自身を弄る時のようにゆっくりと舌先で指の線を辿る。舌を押し付け吸い上げながら指を引き抜くと、ピクリと痙攣した渋谷が小さく喘いだ。
「んっ……」
「ごめんね。あんまり渋谷の血が美味しいからつい夢中になっちゃった」
「……お前は吸血鬼か」
 にっこり笑ってようやく渋谷の手を解放してやると、慌てて手を引き戻しながら涙目で僕を睨む。
 どんなに動揺してもツッコミを忘れない渋谷が本当に可愛いと思う。
 指先の傷に目を向けると、すっかり血も止まり薄く赤い線を残すだけとなっていた。
 心のどこかでそれを惜しみながら僕は渋谷に手を伸ばし、柔らかな髪をクシャリと掻き混ぜた。
「ほら渋谷、続きするぞ」



end
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