小説(3冊目)

□元気の出る魔法
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 血盟城の一角にある執務室、そのドアを開けて部屋の外に出た時だった。
「あれ、村田じゃん」
「やあ渋谷」
 思いがけず廊下を通行中の村田と出会った。
 いつもなら眞王廟で何かしら雑用をしている時間だったと思うのに。珍しい事もあるものだ。
「何か用事?」
「うん、ちょっとね。渋谷は休憩?」
「そ。トイレ」
 おれはと言うと、実は署名書きの仕事を抜け出してきた所だった。
 さほど尿意に切羽詰まっていた訳でもないのだが、何時間も机に向かいっ放しでいい加減息が詰まりそうだったんだ。
「ね、僕も付いて行って良い?」
「はあ? 連れションなんてガラでもないだろうに」
「いいからいいから」
 追い立てるように背中を押される。
 かくしておれは、何故か村田に付き添われてトイレに行く事になった。



 気まずい。
 ここは魔王様専用トイレとあって個室と呼ぶには広過ぎるくらいに広い。しかし複数人で入る場所ではない筈だ。
 村田はドアの前に陣取っておれの背中を見守っている。差し詰め後門の狼状態と言った所か。
 ならば目の前にある便器は虎なのか。
 ――んな訳あるかい。
 心の中でボケツッコミを繰り返しながらおれは落ち着かない小用を済ませた。
「終わったぞ。村田もするんだろ」
 手を洗いながらチラリと視線を送る。村田は口元を押さえたまま動く気配がなく、何のためにここまで来たんだと濡れた手を拭って振り向いてみる。
 すると突然腕を掴まれて、ぶつかるように唇が重ねられた。
「ん!?」
 顎を上げるように両頬を取られ村田の舌が歯列を割る。入り込んだ舌を伝って何か硬い物がコロリと口内に転がってくる。
 常日頃では考えられない行為に、おれは力一杯腕を突っぱねて身体を引き剥がした。
「むらっ、お前なぁ、いきなりキスなんかすんな! しかもトイレで! ムードもへったくれもねえ!」
「へぇ意外、渋谷もムードとか気にするんだ。やっぱり勝利さんの弟だねぇ」
「おれをあのギャルゲオタクと一緒にすんな!」
 やっと解放された口で抗議を唱えるが、村田の顔には反省のはの字も見えない。
 ちなみに後悔のこの字は存在すらしない。
 更に言い募るべきかとも思ったが、どうせ口で勝てる訳はないしと溜め息で終わらせる。口を閉じると中に入れられた塊から甘味が溶け出している事に気付いた。
「ん? これってもしかして飴?」
 訊ねてみると何故か嬉しそうに笑って肯定する。モゴモゴと舌を動かして辿ると、それは親指の半分程の大きさで楕円に近く平べったい飴のようだった。
「地球から持ってきたのか?」
「いや、メイドさんに作ってもらった」
「ふーん。でも眞魔国で飴食ったの初めてな気がすんだけど」
「レシピは地球産って事になるかな。飴なんて存外簡単に作れるもんだよ」
 肩を竦めてサラッとのたまって下さる。さすがは記憶戦隊ダイケンジャー様だ。
 感心しながら舐めていると包み状のハンカチを手渡された。
「疲れた時には甘い物が良いって言うからね。お裾分け」
 お砂糖は脳のエネルギーだからねーと笑った。
「じゃあそろそろ眞王廟に戻るよ。巫女さん達が捜してるかもしれない」
「あ、ああ、そうかもな」
「王様のお仕事、頑張って」
 もう1度顔が近付いて、そっと触れるだけのキスをして村田がトイレを出て行く。おれは遠ざかる足音を聞きながら呆然とドアの前に立っていた。
「……お前、普通にくれるなら口移しの必要ないじゃん」
 誰にも届かない毒吐きが口を滑るが、同時に頬も緩んでいく。
 村田が血盟城まで来たのはおれのためだったんだな。
 おれを励ますために。デスクワークで疲れたおれを元気付けるために、わざわざ自分の仕事を抜け出してきてくれたんだ。
 嬉しくて胸が熱くなる。自分が高揚していくのがハッキリと判る。
 早く仕事を終わらせて、今度はおれが村田に会いに行ってやろう。
 どんな顔するかな。楽しみでしょうがない。
「……よし、行くか!」
 気合いを入れて独り言ちる。
 おれは書類との対峙に向かうため、景気付けとばかりに勢い良くドアを開けた。



end
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