夢小説
□【初めてのお正月】
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【初めてのお正月 第1話】
年初めの挨拶回りが、私にとって…島原の花魁にとっての仕事始めだった。
秋斉さんに連れられて御年賀を手に、いつも御贔屓にして貰っているお客様のお屋敷を一軒ずつ回っていた。
「これでしまいやな…最後まで気ぃ抜かんと、お気張りやす」
一つだけ残った御年賀の包まれた風呂敷をチラリと見て、秋斉さんが私の肩に優しくポンと触れた。
「…はいっ!」
秋斉さんの励ましの言葉に威勢良く笑顔で返したものの、既に私の足は疲れと寒さに痺れ切っていて、限界を訴えながら渋々動いていた。
(ああ…早く置屋に帰って暖まりたいなぁ…
折れちゃった爪も整えたいし)
秋斉さんの耳に聞こえないように小さくハァと溜息を漏らしながら、風呂敷を抱えている指先を見つめる。
先程菓子折りを取り出すときに、うっかり箱の角に指をぶつけて、爪が一本折れてしまったのだった。
その時…
「キャァ…っ!」
手元に気を取られていたら、一昨日降った雪に、踏み出した足をつるっと掬われた。
(転ぶ…っ…!)
そう思ってギュッと目を瞑ると、氷のように硬くなった雪の地面の代わりに、背中にしなやかな柔らかい温もりを感じる。
(…え…っ…?)
驚きに目を見開くと、景色はさっきと全く変わっていない。
…秋斉さんが居ない事を除けば。
「?!」
「ほんにそそっかし娘やなぁ…何処に目ぇ付いてはるんやろか…」
上から降り注ぐ穏やかな声にパッと顔を上げると、眉尻を下げて呆れ顔の秋斉さんと目が合った。
滑って転ぶ寸前の私を後ろから抱き留めるように助けてくれたのだった。
「…すっ、、すみません…」
恥ずかしさと照れ臭さに頬を紅潮させながら、慌てて体を離そうとした時…
「ほう…新年早々、楼主の立場を利用して〜〜と逢い引きとはね…」
冷やかすような不機嫌な声が脇道から近づいて来る。
「たっ、高杉さん…これはその…えっと…そういうのじゃなくて…」
しどろもどろで誤解を解こうとする私の体を起こし、何事もなかったかのように廻していた手を離すと、無表情のまま高杉さんに向き直る。
「これはこれは高杉はん、こない所に居はってええんどすか?」
「ああ、今日は人日(じんじつ)だからな
さすがに人の血に餓えた壬生狼も、殺生はしないさ」
「じんじつ…?」
意味が分からずキョトンとする私に、秋斉さんが丁寧に教えてくれた。
人日とは七夕等と並ぶ五節句の内の一つで、1月7日の事を指す事。
正月の1日から6日まではそれぞれ鶏、狗、猪、羊、牛、馬の日とし、7日目を人の日にして罪人を罰したりしない事。
「へぇ、そうなんですね…」
神妙な顔で頷きながら秋斉さんの説明に聴き入る私の肩を、突然ガバッと掴まれた。
「つまり今日は何をしても咎められないって訳だ」
ニヤリと意地悪な微笑みを浮かべ、きつく私を抱き寄せる。
「た、高杉さん…」
「…高杉はん」
驚きと羞恥に揺れる私の声に、もう一つ…穏やかな怒りの込められた鋭い低音が被さる。
「あんさんのような人だけは、壬生狼も人日(じんじつ)関係無しに捕えてくれはりませんやろか」
私の肩にすらりとした白い手を伸ばし、強引な高杉さんから引き離そうとしてくれる。
「おう、桝屋どの。お前も〜〜が目当てか?
だが、〜〜は先に俺の胸を選んで飛び込んで来たんだ。
残念だったな」
高杉さんは、私の頭上で勝ち誇った表情を浮かべ口許を歪ませた。
「高杉はん、うちの新造に手ぇ出さんといてくれはりまっか?この娘はまだ水揚げ前やさかい」
二人のやり取りを静かに見ていた秋斉さんが、横から私の腕を攫(さら)うと、クィと胸元に引き寄せられた。
「わてらは挨拶回りの途中やさかい、これで失礼さして頂きまひょ
〜〜はん、ほな行きまひょか」
「は、はぃ…」
二人にペコリと頭を下げると、秋斉さんに引っ張られるようにその場を後にして、最後の屋敷へ向かった。
《第2話へ続く》