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□湯けむり姫君事件
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カポーン。
小気味良い鹿威しの音が響く。笹の葉がさわさわと風流にたなびいている。
人肌よりも少し熱めの湯は体を芯から温めてくれて気持ちが良い。鼻をつく独特の匂いは源泉に含まれているなにかの成分。
ふー、と深く息を吐きながらガジルは空を仰いだ。
ここは、妖精王国の豊かな山に抱かれた王室御用達の秘湯。
公務の休暇がてらに訪れた国王一家の護衛役として、彼はちゃっかり温泉のおこぼれに預かっていた。
王城で気を張りすぎて凝った肩がじんわりと緩んでいく。その端で。
「良い身体してるねぇお客さん。しかし凝ってるなぁ。どうだい、いっちょほぐしておこうか」
「いやぁかたじけない。仕事柄どうしても肩が凝ることが多いものですからなぁ」
「…お前らは一体なにやってンだよ」
岩肌に造られた源泉の滝から湧き出る湯をひのきの桶にとって。
「何って…見ての通り日頃の労いに背中を流してるだけだが?」
「さすが王、疲れが溶けていくようだぞ。ガジルも流してもらったらどうだ」
黒く筋肉質の大きな体のリリーの背を女のように白く細い体の王がタワシでこすっている。
遠慮する、と仕草で伝えて奥の竹垣に移動すると周りの岩を肘置き代わりにしてはまり込む。
しかし。
「ガジル―!ちゃんと肩まで浸かってるー?」
その心地よさに身を委ねる間もなく明るい元気な声が竹垣の向こうから飛んでくる。
閉じかけた目をまた開いて、ガジルはへーへー、と返事した。
「その言い方は浸かってないでしょ!しっかり暖まらないとダメなんだからねー!」
――あの秘湯はね、美肌の湯とも言われてるんだって!
道中、楽しそうに話していた姫の顔が浮かぶ。
そんなもんに頼らなくたって十分アンタは綺麗だろ。
なんて、思ったことを言えるはずもなく。ふーん、と受け流せばいつものようにぷくっと膨らむ頬。
その頬から空気を抜いてやろうと彼は頭の中で手を伸ばし…ゆっくりとそれをしまった。
触れられたら、伝えられたらどんなに良いだろう。
けれど、想像ですら躊躇することを現実にする勇気など無くて。
淡く抱いた夢を、ガジルはまたそっと胸の奥の奥にしまった。