連載長編「紡がれていくもの」
□chapter 003
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土方さんの部屋を出てから、広い屯所内を案内してもらう。
隊士の部屋、会議室、執務室、娯楽室、大広間、道場など…所々ですれ違う隊士さんに、土方さんは声をかけて、私のことを紹介し挨拶させてくれた。
通常業務の手をとめて案内してくれるもんだから、申し訳ない事このうえない。
しかも怪我の具合を見ながら歩調を合わせてくれるので、どうしてもゆっくりになってしまう。
謝ったら、いい息抜きになってるから気にすんなとぶっきらぼうに言われた。
歩きながら真選組についても大まかに教えてくれる。
真選組は、一般の警察では対処しきれない治安騒擾やその警戒に対応し、江戸の治安に尽力する組織だという。
3交代制で24時間待機のため、全員屯所に寝泊まりしている。
普通の警察は4交代制だから、むちゃくちゃハードな勤務環境だ。
そりゃ、息抜きも必要だよなぁ。
自販機がいっぱい並んだ休憩所にさしかったところで缶コーヒーを奢ってくれてひと休み。
ふたり並んでベンチに座ったところで、先ほどから気になっていた事を口にしてみた。
「土方さん。」
「ん?」
「煙草、吸っていただいて大丈夫ですよ。」
「……。」
土方さんは私の前で煙草を吸っていない。たぶん怪我人の前で無遠慮に喫煙するのを憚ったのだろう。
「わりぃ、俺の部屋、煙草臭かったか?」
「や、それほどでも。」
私は右手で煙草を吸うジェスチャーをした。土方さんもつられるように指を口元に持っていく。
「指。」
「?」
「土方さんの指、煙草の移り香がしたから。」
吸っていない時も指から煙草のにおいがするなんて、相当なヘビースモーカーだろう。
自分じゃわかんねぇな、と指をくんくん嗅ぐ仕草がかわいい。
土方さんはそんじゃ遠慮なく…と懐から煙草を取り出し、火をつけておいしそうに煙をのんだ。ライターがマヨネーズの形をしていて、ちょっとビックリした。男前が持つには不似合いだろ。
「アンタ、案外よく周りを見てんだな。」
「そうですか?」
「煙草もそうだけどよ、さっき山崎を見る目が探るようだった。」
ふぅっと煙を吐いて付け足す。
「大抵のやつぁスルーすんぜ?存在感がねぇっつって」
「……すみません。」
「責めてねぇ、感心してんだ。」
ニヤリと意地悪く笑って私の顔を覗き込んだ。感心って…でも瞳孔開いてるんですけど。めっちゃすごまれてる気分なんですけど。
「…気配がすごく静かだったし、“闇がたり”が出来る人はそういないので。」
「闇がたり?」
「一歩分の範囲でしか聞こえない声で話す技術です。その範囲ではハッキリ聞こえるのに、離れると不思議とまったく聞こえないんです。」
私の世界でそんな芸当をやってのけるのは、公安か自衛隊防諜班くらいだ。だから無意識に警戒してしまったのだ。
けれど山崎さんと話しながら、私への注意も怠らない土方さんこそ慧眼だ。
私としては緊張感を持って警戒しているのに、一緒にいる同僚や上官からは「ぼーっとしてんじゃねぇぞ」と、たしなめられる事のほうが断然多かったから。
「ほぉ、山崎もやるもんだな。」
「有能な方ですね。」
「それ本人には言うなよ。すーぐ調子にのっからよ。」
「土方さん、スパルタ。」
「ここの奴らにはな、そんぐらいでちょうどいーんだ。」
そろそろメシ食いにいくかぁ、と煙草を灰皿でつぶして立ち上がり、私に手を差し出す。
一瞬、まじまじとその手を見つめてしまった。
助けてくれた人たちに、警戒心をみせるような私なのに、土方さんの態度はまったく変わらない。
それどころか「はやくしねぇと食いっぱぐれるぞ」と、動こうとしない私の両手を引っ張って立たせてくれた。
「土方さん」
「あん?」
「ありがと…です。」
「…?…おぅ。行くぞ。」
私も彼らを信じよう。出来るかぎりの恩返しをしよう。
土方さんの大きくて頼もしい背中を見ながら、そう思った。
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