今夜夢


□ヒトヒラ
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決して惹かれてはいけない


そんな背中をつい目で追ってしまう自分に


今日もまたひとつの溜め息



「ななし」
「は、はい!」

悪い癖だ。
無意識のうちにまた、彼の背中を追っていたらしい私の眼の前に、あの端整で精悍な顔立ちがアップになる。

ハタと我に返った私の声は裏返り、格好悪いことこの上ない。

「先日の雑貨店の案件はどうなってる」
「あ、それなら今日中に何とか…」

ガサガサと乱雑なデスクの上を掻き回しながらそう答える私の顔に、ふいに影が重なる。

何事かと視線を正面に戻すと、やけに思案げな上司の眼差しとかち合う。

その度に、愚かな私の心臓は、跳ねるのだ。無防備に。

「だいぶ、無理してるんじゃないのか?」
「へ…?だ、大丈夫です」


吐息が鼻先にかかる。
瞬いたら睫毛さえ、当たりそうな距離。

きっとこの人は無自覚なんだろうけれど。
罪作りだと思う。
心の底から。

ザワザワとしたオフィスの喧騒だけが、私に現実的理性を引き戻してくれる。


そうでなければ──────ストッパーが壊れてしまう。


目の前のこの限りなく度量の大きい彼の胸に、今すぐ飛び込んでしまいたくなるからだ。

不意に、つ、と。
彼の長い指先が私の目の下を僅かに辿る。
ビクリと過剰に反応してしまう私に、蛯原さんも気まずげに手を引っ込め、顔を逸す。

「クマ、出来てるぞ」

屈んだ姿勢を元に戻し、素っ気なさを装って指摘する彼の真意が、わずかに触れたあの指先から伝わってくるようで、胸がギュ、と狭くなる。
呼吸さえ、忘れてしまいそうになる。

「すみません…。何とかファンデで誤魔化してきます」

そう言って立ち上がり、居たたまれなさからデスクを離れ化粧室に向かうために廊下に出た私は、突然強い力で腕を引かれ、死角になる一角に引き込まれるや否や、息もできないほどに強い力で抱き締められる。

胸いっぱいに、彼の匂い。
ココロが、破裂してしまいそう。

「また、泣いてたのか?ひとりで?」
「え、蛯原さん…っ?」

ダメだ。
ダメだ。
このままじゃ、
このままじゃ、

のめり込んでしまう。
踏み外してしまう。

私の肩口に顔を埋めて、くぐもった声で囁かないで。

゛見ていられない゛だなんて
゛俺にしとけ゛だなんて

眩暈を誘発されそうな甘い媚薬を回さないで──────


その手を取ってしまったら
この胸を選んでしまったら

取り返しのつかないことに、なってしまう。

それでももし、ヒトヒラの願いが叶うなら──────

一瞬だけで構わないから

この想いを告げられたら──────


2012、5、16


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