今夜夢


□略奪
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欲しいものは何時だって何だって手に入れてきた。


サッカーも、名声も、欲しかった車も。


それでも一番欲しいものは、いつだって遠くにあった。





12年ぶりの再会。
柄にもなく旧友に彼女の出欠を訊ねた。
それも、ややしつこかったかも知れない。


後になって思えばそう思えるが、相当自分自身切羽詰まっていた事を知る。

やれ日本の守護神だ何だと持て囃されていても、所詮は一人の男。雄に過ぎない。

自分の勝手な幻想で、ごんべは今も俺の帰りを待ってるもんだと思い込んでいた。

でも現実的に、それは難しいことだと言うのも充分頭で理解できた。

要は、待たせすぎたのだ。
5年や6年なら恐らく、俺の帰りを待っていてくれたかも知れない。

その頃であればお互い23、4で適齢期にはまだ少し早い。

だがもうお互い31だ。
男で尚且つサラリーマンとはほど遠い職種の俺とは違い、 ごんべはごく一般的な社会人で、況してや父親は大手銀行の役員ともなれば、年頃の独り身の娘を放っておくはずもない。
彼女の親友の一人にそう窘められて、漸く気付いた。

それでもまだ、アイツがしあわせな結婚生活を送っているのなら、それを無理矢理奪うつもりはなかった。

諦められるかと問われれば、限りなく無理に近いが、それでもまだ惚れた女が幸せな結婚をして満ち足りた笑顔でも見せていれば、諦めもついたと思う。

不意に脳裏をよぎる。
哀しみ傷つきわずかに濡れたような瞳。

それに見覚えがあった。

12年前。
日本を発つ間際に空港で見た、あの目だ。

寂しさや哀しみをムリヤリ押し込めて、無理に笑って空元気で俺を送り出した時の、あの目。

忘れもしない。
いや。
忘れたくても忘れられないあの目。

この12年、片時も忘れられなかった初恋の相手だ。

向こうでそれなりに女遊びはした。
結構来るもの拒まずだったのも認める。

男は女と違い、体と心は結構別物な生き物で。
だからこそ肉体的な渇きを手近なもので済ませては来れた。

それでもアイツの代わりだけは、誰一人としてなれなかった。

健気に笑う目尻とか、零れる八重歯だとか、片側だけのエクボだとか。

くだらないコトにはよく口が回る癖に、肝心な時には黙り込んで飲み込んでしまう悪い癖、だとか。

だからいつだって放っておけなかった。
何とかして甘えさせてやろう、弱音を吐かせてやろうと、まだガキだった俺は躍起になっていた。

それなのに、言葉は悪いが、捨てたのだ。
夢のため、自分の将来のため、他人のためにすぐ我慢をしてしまう不器用で健気でどうしようもなく愛しい女を、自分の夢のためだけに、確約した将来の約束も結ばないままに──────

そうして今、新婚3ヶ月とは思えないほどに不幸を背負い込んだまま無理に明るく振舞おうとするごんべ の手に手を重ね、半ば無理やりにその口唇を奪った。

「んぅ…っ!」

目を見開きわずかにユラリ揺らいだ瞳を、見逃してなんかやらない。
これ以上、惚れた女が不幸になっていく姿を見続けていくことなんか、俺には出来ない。

咄嗟にキュ、と閉じた唇を無理矢理にこじ開け、舌を入れ込ませる。

拒絶と言うには余りに弱々しい抵抗をささやかに見せる ごんべに、グラリと俺の中の何かが傾ぐ。

俺の胸を辛うじて押し戻そうとする華奢で白い手を掴み、指を強引に絡ませて繋ぐ。
12年前、照れ臭くって仕方がなかった恋人繋ぎ。より深く相手とつながる方法なんて、それっ位しか思い付かなかった。それぐらい、ガキだった。

それが今、相手の抵抗を封じるために事も無げに為している自分も、ふるえる睫が儚さと艶を含んで殊更煽る ごんべも、あの頃と何一つ気持ちが変わっていないことを悟った。悟ってしまった。

ようやく唇をはなすと、弱々しく甘ったるい呼吸を 繰り返しながら、小さく ごんべは呟いた。

「ダメだよ…東山くん…」
「何で」
「私、結婚してるんだよ。もう12年前とは違うよ…」

思ってもいないくせに。
指一本触れてこない男のために操なんか立てる必要なんかない。

「…だから?」

だから飄々と言ってやる。
だからどうしたと。

「っ!だ、だからって…。私は既婚者で、東山くんは日本を代表するプロサッカー選手で…。住む世界も全然違うよ」
「同じだろ」
「ちが…っ」
「同じじゃねぇかよ。こうやって同じ日本に棲んでんだろ。こうやって手を伸ばせば届く場所にお前がいる。サッカー選手だろうが新妻だろうが関係ねぇんだよそんなもん!
第一俺はお前が幸せな新妻の顔してりゃこんなことしねぇよ!こんなこと言わねえよ!いくら何でも俺だってそこまで節操無しじゃねぇよ!!お前が…っ!お前が…んな泣きそうな面ばっかして、ムリヤリ笑ってしあわせなフリばっかしてその裏で泣いてばっかいるから…俺に縋りてぇのに縋っちゃいけねぇってガマンばっかしてる顔見せるから…」
「…っ、」

言葉を失い唇を噛むごんべ の唇に指を噛ませ、その瞳を覗き込む。

「…なぁ。ガマン、すんなよ。俺が、奪ってやるから」
「っ!だ、…めだよ…」
「委ねちまえよ、俺に、全部」

そう耳に囁いて。
顳に音を立てて口付けてやれば、ビクリと跳ねる、華奢な肩。

こんなちっさい体で、こんな弱々しい肩で、ガマンすんなよ。タマンネェんだよ、そう言ういじらしい所も、危なっかしい所も全部。

だからもう一度、囁いてやる。

「お前が欲しい。スゲェ欲しい。…なぁ、この手を選べよ」

繋いだままの手に力を込めれば──────

僅かに彼女の手から力が抜けていくのが伝わった。


2012.05.17



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