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□夜の静間
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 以前彼と私は約束した。 私の家に遊びに来いと誘った。

 これは、私にとって最初で最後の賭けになると覚悟していた。

 ずっと秘そめ忍んでいた彼への思いにけじめを付ける為だ。

 まるで人魚姫の恋が敗れ海の泡と消えた様に自分の片恋は自分の手で殺さねばならなかった。

 未来への約束を果たす手目の友情として偽り生きていくのだ。






 
 大階段で最後にあの人は優しい眸をして去っていった。

 『ウチにいつか遊びに来い。』と誘ってくれた。諦め切れなかったオレにアノ人は、小さな招待状をくれた。

 オレにとって残されたラストチャンスだ。この好機を逃がしたら、オレは一生アノ人を手離したと後悔し、悩み続けるだろう。

 自分たちの見果てぬ理想を実現するための友情で終わらすのはきっと、この関係は辛くなる筈だから。





 この日の東京は例年になく大雪で、空も雪雲が低く垂れ込め、すべての視界や音さえ搔き消そうとしていた。

 『私だ。今日から2〜3日天候が最悪らしい。別の日にしないか?無理はしなくて良い。』

 気を使い提案した誘いに彼は真っ向から反対した。
 
 『大丈夫です、此の位の天気。オレ絶対に行きますから。  それに、約束の時間に間に合うように家出てきちゃいましたから。』
 
 受話器から聞こえてきた彼の声の他に、車のクラクションや女性の悲鳴が混じり此方に向かっている様子が浮かんだ。

 『気をつけて来たまえ。余り大股で歩くなよ。転びやすくなるからな。』そう伝え受話器を切ったと同時に胸の中に湧き上がる気持ちを持て余していた。

 彼に私が邪な想いを告げたら。

 私が彼に持っている気持ちは男同士なのに、恋愛感情だったとしたら。


 彼は私の処に来てくれる。そんな些細な出来事に一武の希望を託していた。





 
 今日大雪になると天気予報は当たり、周りの全てが雪に覆い隠され消えていく。・・・

 こんな日なら、アノ人と二人きりで大切な時間を過ごせる。
 
 アノ人とオレだけの時間。・・・アノ人を独り占め出来る、ずっと夢見ていた今日なのに、何故止め様なんて言い出すんだろ?

 オレのずっと我慢してきた辛い気持ちを室井さんに知ってほしかった。

 きっと室井さんは男同士の恋愛沙汰なんて絶対毛嫌いしてるだろうし、こんなオレを軽蔑するかもしれない。

 その時は【いつものオレ】に戻って冗談だとからかえば良い。

 『室井さん、何でだろ・・アンタを想っただけで胸が痛いよ。  オレ、アンタに恋してるんだと思う。  助けてよ・・室井さん。』

 灰色の空を見上げ、ゆらゆらと舞い降りる雪がアノ人の心の様に感じた。



 
 約束に時間きっかりに彼は私の家の前にいた。

 満面の笑顔に寒さで整った鼻の先が赤くなり雪の所為で濡れた前髪がへばり付いていた。

 彼が私の前にいる。  恋焦がれていた年下の男が。

 何気ないように彼を部屋に招きいれた。

 そして、彼に私の心が悟られない様に注意しながら『友人室井慎次』を演じていた。

 いつもの彼を見ているだけで、自分の心が浅ましいと思った。

  やはり、告げるのはやめよう。

 彼にとって私の想いを知ってしまえばきっと、重荷になるだろうと。

 私は目に前で、屈託なく話す彼を只無言で見つめるだけだった。







 約束の時間より30分も前にアノ人の家に着いてしまった。

 向かう道の雪を踏みしめながら頭の中に浮かぶのはアノ人の事だった。 

 心が急く。  アノ人はどんな笑顔で笑うんだろう。 知りたい。知りたい。もっと、もっと、いろんな顔をするアノ人を知りたい。

 アナタの全てが知りたいなんて言わない。

 もっとオレに笑うアンタの笑顔が見たいんだ。

 もう、其れだけでも良いよ。 室井さん。

 時間になりドアのインターホンを押す。

 いつもの湾岸署の問題児。『青島俊作の笑顔』で室井さんがドアを開けてくれるのを待った。

 手作りの夕食と酒を酌み交わしながら、いつもと変わらない『オレ』が居る。

 室井さんは静かに、大階段の時の優しい眸でオレを見つめていた。

 何故かオレはそんな室井さんの笑顔が切なく見えた。





初めて室井さんの手作りの料理と地元の地酒で舌鼓を打った。

 母親伝授の味付けだが所詮男の手料理だと、苦笑いしていた。
 
 酒は地元秋田の有名酒蔵から毎年新米で作る大吟醸原酒を予約して送ってもらう程、美味い酒なのだと勧めてくれた。

 アノ人は心から笑うと目尻が下がるのを知った。

 この笑顔をいつまでも見ていたい。傍に居たい。

 自分の気持ちが、嘘じゃないことを認めるのは辛い。

 いい大人のフリも、周りに気を遣う空気の読める男じゃ辛すぎる。

 話題が途切れ、オレはアンタを見つめ数秒の沈黙が流れた。

 その空気を壊すようにアンタは困った様に眸を伏せオレから逃げた。
  
 「風呂は湧いている。入って温まってこい。用意はしておくから。」

 そう言うと立ち上がり、別の部屋に消えていった。

 オレは目で追う事も出来ず、風呂場に向かった。





 静かな夜だった。

 降り止まない雪が、私たちだけ取り残して全ての世界から遮断していく。

 音楽やスポーツなどたわいのない話や、湾岸署の仲間をツマミに時間は過ぎていく。

 時間がすぎれば過ぎて行く程、私の中で対処できない気持ちが、隙をついて顔を見せ始めた。

 無言になるのが怖かった。

 酔ったふりをし、陽気になり会話が途切れるのを阻止しようとした。

 数秒間の沈黙が流れ、私をまっすぐに見つめる彼の眼差しから逃げるように外した。心が読まれそうで怖かった。

 耐え切れなくなり、先に風呂に行くよう勧めた。

 彼は何も言わず風呂場にむかった。

 その間に用意したパジャマを用意し、来客用の布団を敷いた。 枕は1つで・・・

 脱衣場に彼のために用意したスエット一式とバスタオルを、気付かれない様にそっと置き振り返り鏡に映った自分の顔は、情けないくらい泣きそうな表情だった。

 




  風呂から上がり、用心深くバスタオルで湯上りの濡れた体を拭いた。

 あの人に自分の左胸と左腰の傷を見られたくなかったからだった。

 今更また、嫌な過去を思い出させたくなかったし、今も苦しんでいると聞いた。
 
 オレに負い目を感じているなら、オレ自身がその事も伝えたかった。

 用意された新品のスエットを着ながら、ふと感じた。余りにもの殺風景な部屋に。

 『この部屋に一体何人の友人と言えるヒトが訪れた事があるうのだろう?』  と。

 使われていない様な来客用の食器類とは別で、自分が先ほど使っていた茶碗や箸・・・まるで、自分のために用意してくれたと勘違いを起こしてしまいそうな程、嬉しさがこみ上げていた。

 『オレ、自惚れてイイっすか?室井さん。少しは、オレの事特別だって思っていてくれている事にしても。・・・勘違いでもいいから。』




 彼が、風呂から出て来たのを見届け隣の部屋で寝る様にと教え、私は入れ替わる様に、風呂場に向かった。

 「おやすみなさい、室井さん。」

 背中越しに聞こえた彼の声に、「あぁ、」

 不器用な返事でしか返せなかった。


 
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