APH

□友達の約束
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小綺麗な病院の中、患者や見舞いに来た人達に何度もぶつかりそうになりながらも廊下を走る。
途中、純白の衣服に身を包んだ看護婦に、「走らないでちょうだい!」と怒鳴りつけられたが、そんなものの相手をしている時間は無かった。
人ごみのエレベーターを避け階段を駆け上って、日本の居る特別病棟へ向かう。
階段の先に立ちはだかる重い扉を開けると、無音の廊下には誰も居ない。
焦る気持ちが前に出て、疲労にも構わず走り出した。

右手に握ったメモを確認し、ある個室で止まる。
プレートには、501の文字。


「あった、ここだ!」


ノックも忘れて中へ入った。
開けた途端、窓から差す太陽の光で異様に明るい部屋がイタリアの目を刺す。
クリーム色の壁や床は清潔で、全てが真白い。

わずかに揺れるカーテンの向こうに誰かが寝ていた。
胸の鼓動が早まる。


「に……ほん…………?」


カーテンの奥には光のヴェールに包まれて横になる日本が居た。
心臓が体を突き抜けそうになる程飛び上がる。

──死んでいるのかと思った。

目を瞑ったまま動かない日本は、作りもののように見えた。
慌てて傍へ寄り、確認すると、小さい体は僅かに上下している。
包帯とガーゼまみれだが、さらりとした黒髪や青白い肌は間違いなく日本だった。

苦しそうではあるが、眠っているらしい。

イタリアは安心感から、膝を落とした。
生きている。
日本はちゃんと生きているんだ……。
肺に溜まった黒く重い空気が、穴の開いた風船が萎むように消えていった。

***

ついこの間までの戦争は終わり、敗北した俺達は気の休まらない日々に耐えていた。
でも、全身に重症を負ったまま戦い続けた日本は、俺達が動ける今も病院で寝ている。

日本が生きていることは知っていた。
不愉快なことに、日本を動けなくした張本人であるアメリカから連絡があったからだ。
連絡を受けたときは生きていることを知れただけで、随分と安堵した。
祈りが通じたんだ、日本を助けてくれてありがとう神様、と感謝もした。

───だが。
実際に現状の日本を目にすると、生きていてくれた喜び同じぐらいに激しい憎悪が沸き起こる。
あんなに真面目で優しい日本が、どうしてこんな目に合わなければいけないのか。
理不尽な結果にどうしても納得がいかない。

静かに眠る日本が苦しそうに呻いた。


「………………」


髪を撫でようとした手が止まる。
何も役に立てなかった俺が日本に触れていいのだろうか。
そんな戸惑いすら生まれていた。

日本を苦しめる奴らも、散々好き勝手したくせに日本を悪く言う奴らも腹が立つ。
でも、そういう俺だって日本に何もしてあげられなかった。
今だって、怪我を一瞬で直したり、痛みを分けあったり、日本の苦しみを取り除くことも、それらを永遠に排除することも出来ない。
何も出来ない、無力な人間。

腹立たしくて仕方が無かった。
守ることすら出来ず、先に舞台から降りてしまった自分が。

戦後じわじわと心を蝕んでいた罪悪感が、急速に広がり始める。
胸が苦しくて、自分が許せなくて、誰かに許しを乞いたかった。
その矛先は、目の前で眠る日本へ向かう。


「日本……。 ごめんね……助けられなくて……」


苦しげな表情で眠る日本は答えない。


「何も出来なくて、役立たずで、本当にごめん……」


額には包帯。首にも包帯。腕も足も、全部真っ白な包帯が分厚く巻かれている。
しっとりとして柔らかかった頬にも、血が滲んだガーゼが貼り付けられていた。


「…………」


こんなに痛々しい姿になってしまった。
小さい体で俺達と並んで戦ったり、幼げな笑みを浮かべてお弁当を差し出してくれたり、一緒にお風呂に入ったりしてた体は、もうボロボロだ。

今だけ、日本が眠っている間だけ……そう自分に言い訳をして、ガーゼのついていない方の頬を優しく撫でた。

元通り元気になってくれるのか?
ショックで喋れなかったりしたら、何もかもに絶望してしまっていたら、嫌われてしまっていたらーー
様々な不安が雨のように降り注いで、傘の無い俺はそれを避けられない。


「……日本……ごめん、……ごめんなさい」


もっと俺が強ければ、負けたとしても日本がここまで傷つかずに済んだかも知れない。
日本がこんなに傷付いたのは、一人ぼっちで戦っていたからだ。


「……ごめんね」


堪えきれなくなった熱い雫が、日本の頬に落ちた。
一滴、二滴…

イタリアがポケットのハンカチに手を伸ばしかけた時、突然、日本の瞼がピクリと動いた。
ゆっくりと開いた瞳は焦点が定まっていない。


「――イ……タリア、くん……?」


久しぶりに耳にした低い声が名前を呼んだ。
日本の頬に零した涙をハンカチで拭き取り、自分の目元は服で拭って無理矢理な笑みを作る。
自分のことで精一杯の日本に、これ以上負担を強いたくない。


「あ……ごめんね。 ……良かった、目が覚めて。 もう起きないかと思っちゃった」


日本は驚いたように目を見張るが、何も言わないでくれた。


「……イタリア君は、大丈夫ですか? ドイツさんは……」
「俺達は大丈夫だよ。 だから心配しないで」


勿論俺達だって無傷だったわけじゃない。
でも、こんなに重症をおったのは日本ただ一人だけ。
心配をさせないように、なるべく笑顔で「平気だよ」と答えるが、上手く笑えているか分からなかった。


「イタリア君……。 手を……握ってもらえますか?」
「え……。 う、うん……」


日本は嬉しそうな雰囲気を滲ませながらも少し不安そうで、ぎこちない。
そっと手に触れ、包帯を巻かれた小さな手を両手で握ると、やんわりと握り返された。


「……痛くない?」
「大丈夫。 嬉しい……です」


ふふっと笑って日本は目を細めた。
その目の下には、日本には似合わない血の滲んだガーゼとテープが怪我を主張する。
それがなんだか痛々しくて、この沢山の包帯が憎い。

俺に日本の怪我が直せたらいいのに。
俺がここに居ることで、日本の支えになれたらいいのに。
日本をもっと笑わせて、体を直して、早く……元通りにしてあげなきゃ。
きっと、心の中までずたずたに傷ついてるから。

自分が守れなかったせいで──心の中で呟いた言葉に胸が痛み、じわりと涙が滲む。


「…………っ……」
「え……? イタリア君、どうしたんですか……?」
「ごめんね……俺、弱くて。 友達だって言ったのに、……守れなくて、一人ぼっちにして、ごめんね……」


再び涙が落ちた。
水気を吸ったシーツが、透けた白に変わる。
病人の前で泣くなんて、俺は馬鹿だ。
分かっているのに、今の日本を見ていると自分の無力さが悔しくて、微笑む日本が痛々しくて、堪えきれない。
自分は弱い男だ。
日本とは比べものにならないほど、精神的にも弱いのだ。

涙を止められないでいると、さっきまでやんわりと握っていた手に、ぎゅっと力がこめられた。


「……一人ぼっちなどでは、ありませんでした」
「え……?」


凜とした声で言う日本は、真剣な瞳で真っすぐにこちらを見つめる。


「イタリア君。 私には、イタリア君やドイツさんという心強いお友達が居ました」
「でも……俺が強かったら、日本を守れたのに……」
「そんなこと、貴方が気に病む必要はありません。 貴方が今ここに居るというだけで十分です。 形式上だけではなく、本当に友達だから来てくれたのでしょう?」


日本は花に微笑みかけるように、柔らかく綻ぶ。


「それとも貴方は上司に、『今イタリアは大変な時だが、それより酷い状況である日本の機嫌をとってこい』とでも言われたんですか?」


そう言って、日本はまた笑った。
貴方は悪くない、来てくれただけで十分だ、と。

……どうしてだろう。
自分がこんなに体を痛めていて、その時に同盟していた友達が来たら、俺なら八つ当たりをしてしまうかも知れない。
愚痴の一つや二つ、簡単に零すだろう。

何故、俺を責めないんだ。
日本のことだから気を使っている所もあるはず。
だが、「本当に友達だから」と言って笑う日本が、本音を隠しているようにも思えなかった。


「日本……」
「はい」
「俺はまだ……日本の友達で居ていいの……?」
「いいも悪いも……貴方は私の大切なお友達ですよ」
「日本……ありがとう。 俺も日本のこと、大事な大事な友達だって思ってるよ」


苦しいのは日本だ。
それでも笑顔の日本の前で、俺はこれ以上泣いてはいけない気がする。
零れる涙を拭って日本に笑いかけた。
きっとめちゃくちゃな笑顔だったと思うけれど、日本も笑ってくれた。

繋いだ手は少し汗ばむ程に熱い。
だが、どちらも固く握りしめたまま離そうとはしなかった。



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