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□恋風
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君は、僕の目の前に舞い降りた天使のようだ。
部活のボール拾い中に、フェンスの隙間から出てしまったボールを追いかけると、誰かの足元に転がってくのが見えた。
「すみませ〜ん!」
走ってそこまでたどり着く前に、ボールはその足の主に拾われてしまった。
ボールを手に佇んでたのは、同じ学年らしき男子で。
こちらに顔を向けた彼に、すでに走り出してた心臓が猛ダッシュをかけたように速くなった。
な、なんなんだ?この感じ…
痛いくらいに脈打つ心臓と、茹だるくらい熱くなる頭に、俺はいきなり病気にでもなったのかと思った。
「お前、テニス部?」
容姿に違わず、少し高めの甘い声が話しかけてきた。
「そ、そうだけど…」
ボールを受け取るために、彼のすぐ近くまで歩み寄る。
「入部希望なんだけど、部長ってどこ?」
まっすぐ見つめてくる彼の強い視線に、俺はうろたえてしまう。
「あ、今…は、えっと、あのフェンスのところにいる黒いめがねの人がそう」
背の高い後姿を指差して教えると、彼はにっこりと笑った。
「サンキュー」
白い歯を惜しげもなく見せたその笑顔に、鼓動は速まるばかりで。
さっきまで聞こえてたはずの、周りの掛け声とか、ボールの弾む音とか、そういうのが不意に聞こえなくなった。
差し出されたボールを慌てて受け取ると、少しだけ指が触れた。
指先の丸い感触が、手に残る。
大きく胸が高鳴って、ボールを落としそうになる。
「あっ!」
彼はそれをすばやくキャッチして、また俺の手に乗せてくれた。
「ちゃんと掴んどけって」
「あ、ごめんっ。ありがとう」
彼は軽く俺に手を振って、部長の所へかけていってしまった。
ふわりと風が通り抜ける。
俺は、手塚が声をかけてくるまで、そのまま彼の後姿を見つめていた。
恋に落ちる。
彼との出会いは、まさにそれだったのではなかろうか。
外側にはねた赤みがかった髪。
好奇心の強そうな大きなアーモンドアイ。
つんと尖った唇は桜色で。
まだ幼さを残した頬が丸くて。
はじめてみた彼を、思わず「可愛い」と思ってしまった。
今思えばおかしいよな。
彼は俺と同じ男なのに。
だけど、どうしても惹きつけられるのだ。
身軽さを生かしたアクロバティックプレイ。
好奇心旺盛なキラキラした瞳。
人懐こい笑顔。
はじめの内はずいぶん嫌われてたみたいだけど、あの試合の後、あのコンテナで交わした約束。
「お前を倒すまでダブルス組んでやるよ!」
そういわれた、春の夕暮れ時。
俺たちの間を吹きぬけた風が、とても心地よかったのを覚えてる。
それから、俺は英二のパートナーとして隣にいられるようになった。
英二のダブルスを組むようになってから、先輩ペアに負けるたびにあのコンテナで反省会の日々。
どうにか先輩ペアに一勝した日は、二人で祝杯をあげた。
反省会用のコンテナだったけど、今日だけは特別にここで勝利を祝う。
「ほんっと、よく勝てたよな〜」
コーラを一口飲んで、英二が開口一番うれしさをかみ締める。
「英二のアクロバティックプレイ、かなり利いてたしな」
「いやいや、大石のフォローのおかげです」
お互いを褒めあい、一緒に笑いあう。
ずっとこうして、英二のそばにいられたらいいな。
英二の笑顔を見つめながら思ってると、吹きぬけた風にゆらりと身体が揺れた。
衝動は、急にやってきた。
よくよく考えれば、よくない傾向に思考が向かっているのは分かる。
これからの二人のことを考えれば、なにいわずにいるほうがいいに決まってるのも分かってる。
でも、どうしても口に出してくてたまらないのだ。
「英二…」
俺の声に英二がこっちを見る。
「ん?」
そのまなざしは、出会った頃と同じくまっすぐだ。
「…好きだ」
言葉の意味が分からなかったのか、数回瞬きをしたあと、またまっすぐに見つめられる。
いい加減な気持ちじゃないとこを分かってもらいたくて、俺もまっすぐに見つめ返すと、英二はふわりと笑った。
「俺も、大好き」
英二は、俺の好きな満面の笑顔で答えてくれた。
コンテナに吹き抜ける風は、あの時感じた春の風と似ていて。
まるで、世界に二人だけのような錯覚を覚える。
俺たちが出逢えた奇跡を、大事にしていこう。
あの風と、一緒に……
【おしまい】