界と界

□春燈に酔いて、染め行く
1ページ/2ページ


最後の一枚に書名した時には、とっくりと夜が更けていて、濃藍の闇が色を奪い、漠然とした静寂だけが横たわっていた。昼間の喧騒が嘘のような静けさに、グウェンダルは知らぬ内に嘆息して肩を鳴らす。凝った体は鈍く鳴り、蓄積された疲れを知らせるには充分過ぎるものだった。

「……静かだな」

かたりと暖炉の薪が鳴る。それを合図に席を立ち、テラスに続く窓を開けた。途端に入り込む風は、思った以上に冷たくなく、火照る体には丁度良い。庭師が丹精込めた花が咲き出したのか甘い香りも運ばて来た。
気が付けばゆっくりとだが、春は確実にやってきているようだった。
疲れを吐くように深く呼吸を繰り、春の香りを取り込む。
仕事は終わり、後は自分の時間。開いた窓をそのままに、部屋を横切る。いつもならば、編みぐるみに手を伸ばすところだが、今日はチェストの方に手を伸ばした。
美酒、銘酒。
庶民には手が届くことのないような酒がそこには鎮座していた。その中でも、甘口の果実酒に手を伸ばし、窓辺に据えた椅子に戻った。
小気味良い音を立てながら開けた瓶。途端に鼻を撫でるのは、春以上に甘い香り。とろりとグラスに注いだ黄色。

「……良い香りですねぇ。閣下」
「……ノックぐらいしろ。グリエ」
「すいませーん」

にへらと笑うヨザックは静かに扉を閉めると、グウェンダルの傍までやって来る。

「何の用だ」
「つれない言葉ですね。俺と閣下の仲じゃないですか」
「どんな仲だ」
「それはもう、こんな仲……」

言うが早いかという素早さで、ヨザックはグウェンダルの手を掴む。

「グリエ!」



次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ