劣等感

□ごみの日 二
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 人は模倣する生き物だと思う。
 或る時、或る場所に於いて、何本もの可憐なる花が切り落とされた。立派なる器物破損だ。犯人は傘のその先で、これ等を切り落としたらしい。
 これが報道された際、各地で似た事件が起こった。やはり連なっている花の数々が、無残にも切り落とされたのである。
 他にも、殺害予告であったり、青少年の残虐なる殺人であったり、もっと身近で挙げるならば会社内で一人が退社すると、続けて何人も辞めたりする。僕が思うにこういうのは、人が模倣する生き物だからなのではあるまいか。
 例えば、意識的にというよりも、無意識的に模倣する。人の取った行動が、潜在的に入り込み、するともなく同じ行動をする。一理はあると思う。
 であるからして、無差別殺人も一時期は流行したが、何時か自分自身が、その犯人になる事があろう。ぽっと殺意が湧いて出て、狂った様に殺戮をする。僕は恐怖する。
 さて、あれからも、僕はごみの日ではない日に、こっそりとごみを捨てる。僕は変わらない。ずっと変わらない。
 しかし異変が起こる。腰を抜かす様な異変が。
 或る日、ごみ置き場が、戦場の様に荒れ果てていたのである。つまり、今までは僕一人が其処を荒らしていただけなのに、先に書いた模倣の為にか、扇風機やら本棚やらが捨てられている。いや、もうただ荒涼。正に戦場である。
 やはり僕は罪悪感を抱く。そうして、そのごみ置き場の秩序を正そうとさえ思う。が、自身の為に、僕はしなかった。そればかりか、ずっと捨てたかったマイクスタンドや洗濯ばさみを、便乗して捨てた。
 これからも、僕に取ってのごみの日は続く。



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