劣等感

□二人
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 何故に此処まで、往来を行き交う人々や自動車、雨雲や雨に傷付くのだろう。どうして、目の前のもの全てが悲しく見えるのだろう。
 掌から砂が零れ落ちる様にして、僕からは全てが無くなっていた。抜け落ちたのだ。消え去ったのだ。
 どうしてこうなったのか。それは、世間からすれば女々しく弱々しい僕の所為らしく、しかし僕の言い分としては、腐り切った世間の所為なのだと胸を張って言う事が出来る。人を信じたって、皆、平気で裏切るのだ。知人だって友人だって恋人だって、時には家族さえ、見事なまでに裏切る。僕はそれを世間から教わった。そうして、その裏切りを回避する術や裏切りに因る痛みを癒す術は、どの教科書にも書いていない。「君は親友だ。」「貴方を愛している。」「我々は家族だ。」等という綺麗なる言葉を、僕は幾度と無く耳にしたが、しかし、この言葉は彼等の醜い心を隠す為の化粧の様なもので、これをぺろりと剥がせば、悍ましいまでの姿がある。
 マタイ伝七章六節には次の様に記されている。
「聖なるものを犬にやるな。彼等はそれを足で踏み付け、向き直って貴方方に噛み付いて来るであろう。」
 これは現代社会に当て嵌まっていると充分に言う事が出来る。何故なら、こちらが親切として人に与えた事が、前述した警句の通り、全くの暴力となって返って来るのだから。そうして、殊に愛する者の日陰の部分には辟易する。誰もがその黒色の部分に、用紙の角で指を切る様な悪意を所有していた。
 君達の隣に寄り添う者は、本当に、信頼する事の出来る人間だろうか。遠回しに忠告だけはしておきたい。その者が、君達の見ていない所で、人を殴ったり犯したり殺したり奪ったり裏切ったりしているのかも知れないのだから。
 して、前置きが長くなってしまったが、兎に角、僕は猜疑心の塊だ。人を信じはしないし、愛しもしない。全身を鋼鉄の鎧で纏う様にして僕は心を閉ざしている。
 しかしこの様な僕でも、人間社会に生きているが故、沢山の人間と出逢い、不本意ながら憎き者と友人という形になってしまったり、また、恋人という形になってしまったりもする。
 それは最早、既に決定された、つまり必然なのだと僕は考える。だからこうした不本意なる事態に、それでも息をしなければならない。
 夕陽が二人を照らしている。太陽は寒がりの僕を尻目に、この公園の向こう側に見えるビルディングの方へ沈んで行く。
 目前で砂を足で蹴っている彼女の影が、背伸びをしたかの様に伸びている。彼女の影とは思われない。全く別人の様な影。
 僕は長椅子に腰を掛け、憂鬱を感じている。往来を行き交う人々や自動車、雨雲や雨に傷付くそれに近い、憂鬱だ。何故? 僕は遠くの景色から彼女へと視線を移す。あどけない少女は仏頂面で、依然、公園の砂と戯れている。
 僕は胸を痛めた。この無垢なる少女が、僕の居ない所でえげつない事を仕出かしているかも知れない、そう考えたからだ。
 正直に書くならば、それはとても考えたくない事だ。そうであっては欲しくない。決して。
 しかし現実は余りにも残酷だという事を僕は知っている。彼女から目を離せば、彼女はやんちゃな少年宜しくぺろりと舌を出し、僕を笑う。嘲笑う。そう考えたくなくても、これでさえ僕の中では必然なのだ。そうして、彼女が僕に嘘を吐いている事もほぼ確実、これも必然である。
 嘘を吐く――。しかしそれよりも惨い人間も居る。周知の通り、猜疑の念で塗り固められた僕の事だ。今まで散々に裏切られて来た事を理由に、傷付けられる前に先に人を裏切っているのだから(!)。そう、彼女は嘘を吐くかも知れないが、しかし、僕の犠牲でもあるのだ。彼女が僕を裏切った時の為の犠牲、つまり、「私は貴方を騙していました。」「実は僕もさ。かっかっか。」と言って自身を、これでも多少辛いが、守る為の手段。仕方の無い犠牲なのだ。
 僕の憂鬱の原因は彼女にあった。彼女を好きかどうか、それは言うまでもなく「好き」である。が、臆病者はその臆病が故に彼女を裏切っておかなければならなかった。
 この悪人はしかし傷付いている。彼女を裏切っている事に就いて。それでも、変えられない、必然だ。
 僕は無理に微笑んで言う。
「おいで。」
 赤子が泣き顔から笑顔になる様にして、彼女は笑った。隣に腰を掛ける。
 僕は彼女の腰に手を回した。
 嗚呼、心、此処に非ず。
 そうして、相変わらずの、憂鬱な空を仰いだ。



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