劣等感

□地獄
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 幼少の頃に地獄というものを目前に描いた時、私は思わず身震いしました。その地獄とは、ただ色彩だけで描かれていましたが、暗澹たる黒色に於いて形成され、その暗鬱さに、私は震え上がったのです。
 地獄はどうやら、これは孤独でもある様でした。辺りに父の手も母の声も友人の笑顔も恋人の愛情さえ存在しないのですから。地獄を本格的に想像する前は、例えば鬼に大きい釜で茹でられたり食べられたり、その様な光景であるとばかり思っていましたが、どうした訳か、その時はこう夢想したのです。
 さて、私はいよいよこの地獄にやって来てしまいました。ダス・マンの、所謂世間的なる声に追いやられ、気が付けば、この光景、この孤独。最早、生きる気力は皆無です。酸素とどちらが重いか秤に掛けても、生きる力の方が軽い事間違いありません。
 ダス・マンの声――。それが如何なるものかというと、所謂人間らしい生活の声でした。真面目に働き、こつこつとお金を貯め、贅沢の言わない暮らしをするという内容――。しかし私は、がちがちに固められているそうした思想にいちいち傷付き、故に正反対の、言わば退廃的なる生活に身を沈めました。が、言うまでも無くダス・マンはデカダンに生きる私を批判します。害虫を批判する様に、いいえ、寧ろそれをも越す程の叱責を私に与えました。それでも私は、全うに生きて傷付くよりは、適当に生きて傷付く方が断然に良き事だとして、それからも暫く頽廃を続けました。
 そのまま、死んだ様な日々が続いて行きます。萎れた花がまだ息をする様な状態でした。
 しかしこの私にも愛する者があり、私の所為でその者さえもが世間に批判されるのは、やはり耐えられない事です。ですから私は、息も絶え絶え、萎れ切った身体で、行動に出始めました。退廃的なる生活から脱しようと、何でも良いからと行動をします。しかしながら、私には何の能力もありませんでした。土台からして、私は人を食べさせて行く力に乏しい様です。けれども、例えば愛情の為になら人殺しさえ許されると考える私は、或る悪業に身を染めました。人を殺すよりはまだ合法的なるそれに、遮二無二、私自身の全てを投じましたが、如何せん、所詮は悪業です、悪の巣窟の上層部の連中は使うだけ使い、ごみを捨てる様にして私を捨てました。
 今の私には何もありません。更に更に何も無くなりました。
 地獄。
 この闇から抜け出せずに、ただ膝を抱えて明日を待っています。



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