劣等感

□情死の日
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 二人は共に死ぬ事を決意した。その理由は、互いにもう活路を見出だせないという、在り来たりのものである。
 例えば中村あゆみの「羽の折れたエンジェル」という曲の歌詞にある様に、チャイニーズ・ダイスを振って生きて行く二人の夢を、誰もがいつだって笑い飛ばした。二人は世間の犠牲である。世間という巨大なる足に踏み潰された小さき生物である。二人はもう千切れてしまいそうな絲の如し。しかしそれでも、まだ息をしている。
 男は薄弱だった。女もまた、薄弱だった。彼等の関係は、一つの木片を抜き取ったが故に崩れる積み木の様だ。誰がこうしたのか。男か? 女か? 違う。世間に他ならぬ。世間が彼等の幸福を、いちいち踏み躙り、不幸よりも暗く重たい地獄に変えた。
 共に死ぬ事を決めた時、男は笑いながら泣いた。女は泣きながら笑った。雨が降った。死に行きそうな花が打たれ、溝に流れて行った。
 男は夢を見た。女の買って来てくれたネクタイを貰う夢。過去の出来事。男は煙草を吸いながら、その煙にもう一度その光景を思い浮かべた。しかしそれは煙が消えて行くのと同時に消えて行く。男は手を伸ばした。が、過去は取り戻す事が出来ない。煙さえも掴めなかった。
 女は二人で撮った写真を眺めた。初々しい二人。永遠を誓った二人。しかしその一葉の写真が煤けて行くのを感じた。その色彩は最早修復不可能の様だ。女は初めて苦笑いをする事も出来なくなった。
 彼等は抜け毛の様に覇気を無くし、陰惨たる状態に足を踏み入れる。嗚呼、悲しき結末。二人の愛はマッチの火よりも脆く儚くなった。
 男は最後に筆を取った。しかし其処に一体何を書く事が出来よう。終に一文字も書けずに筆を置く。
 女は夜の町を眺めた。そうして、溜め息さえも出せず、死の瞬間を待つ。



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