劣等感

□猿真似
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 私は今年、漸く流行作家として名を馳せる事が出来ました。長い年月も掛けず、いとも簡単に脚光を浴びる事に成功致しまして、メランコリックで風変わりな小説家と言う、まあ、世にも不思議な異名さえ頂いた次第で御座います。
 メランコリック、風変わり。然し、果たしてそうでしょうか。実を言いますと、私には作家たる風格も、作家らしい思想も、何も無いので御座います。お会いした事の有る作家の方々は、もう恐ろしい程の貫禄が御座いましたし、又、貫禄がそう無い人にも、お話しをしてみると確固たる信念をお持ちでしたり、矢張り良い意味で変わり者と言える様な、珍妙で素敵な思想をお持ちで、私は自分自身に恥ずかしい気持ちを抱きます。
 思想、信念。誰もが、これだけは胸を張って主張する!と言う物を持っている訳ですが、然し、私には何も無いのです。蟻の巣や蜂の巣を覗き、あら、何も居ない、と言う様な、そう言った空しささえ存在する程、私は文字通りに空っぽなので御座います。
 私は、まるで雲の様に、風に流されるままに生きて参りました。いいえ、その様に言って仕舞えば、未だお格好やお体裁を保てるのですが、実の所は只の、猿真似をして生きて参りました。
 幼少の頃には、テレビで、男女が裸になって抱き合っている光景が放映されて居りまして、その番組を見た私はそれを真似て、恥ずかしがる妹を無理に裸にして抱きました。
 小学生の頃には、或る漫画が流行っていたのですが、それに登場する主人公の口癖を真似て、四六時中、私は自分の事を「俺様」と言って居りまして、国語の授業での作文にも自分の事を「俺様」と書き放ちました。するとそれを読んだ教師と両親に、「不良ね。」「親不孝者だ!」等と酷く叱られました。
 中学校の頃には、校内で有名な不良集団が学校中の窓硝子を割りながら歩き回り、私はそれを人道に悖る行為と見て取って居りましたが、不良集団はそれでも、校内の人気を集めていました。私はそれを真似て、自分も窓硝子を割り歩きましたが、然し、私はその時も教師や両親に厳しい叱咤を受け、そればかりでは無く、不良集団に虐められる様になり、校内中の生徒が私を病原菌の様に汚く扱い出しました。
 又、高校生の頃には、美少年のアイドル達が流行り、薔薇を口にくわえたりして、見ているだけの私でさえも恥ずかしくなりましたが、私は、これは面白いと思い、真似をして、常に薔薇を持ち歩き、洋服や鞄等に薔薇の装飾を施し、そうして日々を送りました。けれど、矢張り、アイドル達は圧倒的な支持を得るのに、私はどうも駄目で、街を歩く度に通行人の笑いの的となり、私を見て噴き出す人も少なくありませんでした。
 不良やアイドルと私の何が違うのかと、いよいよ憤慨した私は、渋谷を歩いていた時に通りすがったハチ公の銅像に、自分に飾られた薔薇を差し上げました。いいえ、正確に言いますと、「差し上げた」と言う表現は不適切かも知れません。私は薔薇を、ハチ公の背中に乗せたりして、鬱憤を晴らそうとしただけなのでした。
 実際に、ハチ公を薔薇で装飾しました。すると、直ぐに警察が駆け付けて参りまして、私は派出所に連れて行かれ、「義務教育で何を学んだのだ。」と、長いお説教を喰らいました。
 大学生の頃には、音楽が大流行して、私は音楽に何の興味も無かったのですが、同級生に無理矢理に誘われて、ボーカルを任されました。
その時に流行っていたバンドのボーカルを、文字通り頭の先から足の先まで真似て、歌い方やステージング、それから喋り方までをも同じにして、或る会場で公演を行いましたら、私の仲間も、又、観客も、皆が興醒めして、その会場には白々しい空気が漂い、そして私はバンドを追放されました。
 仲間や観客は、私を軽蔑の眼で見て、もう限り無く追放された様な気持ちがして、私は、日本、いいえ、全世界からさえも放り出された気持ちで御座いました。
 漸く社会人になった私は、急に文学熱が盛んになり、ひたすらに筆を取りました。これも、大好きな作家の文体を真似て書きましたが、これだけは何故か評価されまして、いや、意外や意外、お蔭様で今はこうして三度のお食事をさせて頂いている次第で御座います。
 然し、私の猿真似人生は、此処から更に酷くなりました。
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