劣等感

□貴方を殺す者
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 貴方がこれを読む事が無いと知り得ていても、しかし自分は書かなければならぬと思い、筆を取りました。
 ご存知の通り自分は、今では自決する事を生き甲斐として、残された無様な道を歩いて居ります。何故死のうとしているのか、それは、先日にお話した通りです。自分には、この与えられた命さえ不相応であると感ずるのです。何故なら、自分は罪ばかりを犯して参りましたから、断固として、断固として死ななければならないのです。言うなれば、これは死刑と同じ事です。
 貴方は、此処までを読まれ、こう思う事でしょう。自分を自分でどうして判断出来よう、自分自身を客観的に思考・判断する事等出来ぬ訳だから、因りて自分自身を裁く事等出来る訳が無い、と。
 然様で御座います。しかし、そういう過程や結果は、自分には不必要ですし、また、やはり不相応なのです。と申し上げますのも、貴方もご存知の通り、自分の罪は法には裁かれないからです。胎児を堕胎しても、法はこの堕胎をする者やそれを勧めた者を裁かない様に、自分の罪はそれと同じくらいに際疾い辺りにあるのです。
 自分は、生きていたいのです。例えば、明日という日が晴天になるか、或いは雨天になるか、それは判りませんけれども、明日の空を見上げたいのです。しかし、死刑を宣告された死刑囚が、死刑の執行日のその先の一日を迎えたいと言ってもそれは許されない様に、自分にもその先の生存は許されていないのです。
 貴方は先日に、生きたくても生きられない人間が居ると仰いましたが、それは然り、自分はそれを元々から理解しているつもりです。先に挙げた堕胎では、折角命を手にした胎児が殺されます。産まれる事無く殺された胎児達は、或いは生きたいと願っているのかも知れません。もし自分に、何の罪も無かったならば、もし自分の身が、潔白だとしたならば、その生きられなかった方々の分も、充分な程に生きて差し上げたいと存じますけれども、自分は自らの命を断ち切り、謝罪という形を取らなければなりません。
 さて、貴方は先日、医者に甲状腺腫瘍と診断されました。両側の甲状腺に腫瘍が発見され、自分はそれを聞くが早いか、こう考えました。嗚呼、自分の所為だ。
 もし自分が、貴方に死ぬ等と言わなければ、或いはその腫瘍は腫瘍にならなかったのではないでしょうか。自分は無責任に貴方を傷付け、辱め、苦しませました。花を摘むよりもその行為は残酷な事でしょう。何故なら、花を摘み取り、その生命を尊重し、枯れるまで愛でるのは仁義であると思われますが、花を摘み取りただ捨てるのは、これは殺害でしかありません。自分が貴方に申し上げた死ぬというこの二文字は、成る程、後者に該当すると思われます。嗚呼、自分は、やはり悪人でした。自分は何故、棘を持って生きるのでしょう。自分のこの棘は、貴方の甲状腺に刺さりました。刺されたその箇所は腫れ上がり腫瘍となって、貴方を今、懊悩させています。その甲状腺の腫瘍は、成る程、自分です。そしてこの悪人は、今、雨上がりの夜の様に寂しい思いを抱いているのです。これまで貴方の死を考えた事は無かったけれども、生まれて初めて、静寂というものを理解致しました。そして無責任にも、自分のこの極悪さに叩きのめされ、わっと泣き出したい衝動に駆られます。自分のこの身勝手は、例えば全財産を溝に捨て去り、そうしてそれを後悔する様なものなのでしょう。こういう自分の全てには、最早自分でさえ閉口するばかりです。
 あの時分、そう、忘れもしないあの時分、大きな虹が架かったあの時分に、自分は初めて死を決意致しました。その時分に貴方は自分の部屋の扉を叩き、ご飯を作って下さいました。野菜を炒めた物と、味噌汁と、それから白米と、これだけの質素なものではありましたけれども、あれ程までに美味だと感じた料理は後にも先にもありません。自分がどれだけ美味しく頂いたか、それはいかんせん、貴方には伝わりませんけれども、世界中の全人類がその料理を批判しようが、自分は断固として美味と評価する事が出来ます。本当に、本当に、有難う御座いました。
 昨日、差し上げたあのお酒の数々は、自分の、貴方へのせめてもの気持ちです。また、一緒に飲みましょう。下らない事柄を、楽しく話し合いましょう。
 しかし、残酷にも、現実はそう無難にはいかないものです。自分は貴方のその腫瘍を齎した元凶です。そして最終的に、鰡の詰まり、自分は貴方を殺す事になるのです。
 自決する事は、変えないつもりです。しかし、貴方が生きる限り、生きていようと存じます。自分は、貴方を看取ってから、地獄へ行くのです。貴方を殺してから、地獄へ行くのです。

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