劣等感

□日溜まりの中へ
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 一 日溜りの中へ

 僕らしくない事を書きます。そうして、これはとても気障ったらしく、恥ずかしく、また無様な事ですけれども、書かなくてはなりません。書いて、然る可きなのです。
 僕は、沢山の悪い事をして、君を困らせ、苦しめました。一つはお酒を飲んで暴れたり、また一つは浮気をしたり、その他にも、どんなあくどい事を仕出かしたか知れません。
 僕は、君のお父さんみたいに格好良くなりたくて、必死に生きて、でもなれなくて、傷付いて、どうでも良くなって、自ずと、放埒の渦中に身を投げました。
 放埒は何処か頽廃的で、美しく、しかし苦悩、懊悩の絶えぬ、禍々しく下品な、言わば汚らしい酒場の様な異郷の地でした。
 其処で僕は、沢山の悪夢を見、震えました。不安が募り、恐怖して、そうして、君という故郷を、懐かしみ、恋しくなりましたが、下品な沼が、足を沈め、僕は陸地に踏み出す事が出来ませんでした。
 君との日々を思い出しても、それは既に遅い事で、走馬灯の様に回るそれを、僕は何時しか突き放そうと思いました。
 君はしかし、そうした僕の傍で笑い、僕のあくどさに何も気が付きません。君の笑顔は麗々たるものでしたが、僕にはまるで硫酸の様にも感ぜられ、卑怯にも、君を置いて身を投げ出そうと考えました。
 昔、そう、あの時、「また明日ね。」と言って別れた時、電車の中から夜の外を見渡すと、向こうを走る電車の中に君を見付けました。君も僕に気が付いた様です。念の為、僕は急いで携帯電話から君に、「見えた?」という内容のメールを送りました。君は、「うん、見えたよ。」と返事をくれたのです。覚えているでしょうか 。きっと、覚えている事でしょう。僕はあの時、とても幸せでした。
 けれども、僕の乗った電車は、君の乗る電車から離れ、君と僕とを引き離しました。どれだけその電車を憎んだ事でしょう。あの憎しみは、紛れも無く、君を愛するが故でした。そうして例えば、僕の乗った電車は、黒色の辺鄙な地へ向かい、僕を降ろし、何処か遠くへ消えてしまったのではないでしょうか。
 その異郷の地では、麻薬に溺れる者、赤子を殴る者、女人を犯す者、人を殺す者達が蠢いていて、僕は狼狽しました。
 鬼畜を見ました。しかし、どうやら社会を生きて行く為には、悪い人にならないと駄目な様です。何故なら、ご覧下さい。あのお偉い社長さん、正義を守る警察官、政治家、殆どの人間が、悪い事をしているではありませんか。悪い人達の仲間入りをしなければ、僕は、とても生きて行かれないのです。因りて僕は居直りて、大酒を喰らい、沢山の女の人を抱いて、がははははと大きな声を上げて夜の街を徘徊しました。するとどうでしょう。僕は孤立しました。誰もがそんな僕のだらしなさに呆れ果て、離れて行きました。仲の良かった友人達も、愛想が尽きたのでしょう、誰一人として助けには来てくれません。
 中途半端な悪人の成れの果て。
 黒色の其処で白色の静けさばかりが僕を襲いました。
 死ぬしかありませんでした。それは、孤立が故でなく、君のみならず様々の人に無様を曝した、僕の気取りからでした。僕は、立派なお城を崩壊して、そうして、後片付けもせず、無様さから生きる気力を完全に無くし、卑怯にも、死のうと思ったのです。
 遺書の内容を簡潔に纏め、僕の命も精々後二、三日に差し迫った時、次の記事を読んで、僕は驚愕しました。
《口付けをする仕草で話題を呼んだ、川崎市幸区に在る夢見ヶ崎動物公園にて飼育せられている雌のレッサーパンダ「友友(ユウユウ)」が、一月八日の朝に死亡。十二歳六ヵ月だった。老衰に加え、肺炎を発症していたのである。
 友友は、平成十一年から雄の「雄雄(ユウユウ)」(十四歳六ヵ月)と一緒に暮らして居り、二匹の間に子供は無かったが、平成十九年一月頃から互いの口元をなめ合うようになり、一躍人気となった。
 友友は人間でいえば六十五歳超で、昨年暮れから食欲が減退したが、平成二十年の一月七日まで雄雄と仲良く口付けをしていた。友友がいなくなり、雄雄は寂しそうにその姿を探しているという、云々。》


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