劣等感

□足跡
1ページ/2ページ

 僕は混血の者である。
 父が伯剌西爾連邦共和国産まれの亜米利加人、母が純粋なる日本人である。その間に、僕は産まれた。
 父は不倫をしていた。相手の女性をしかも孕ませた。やがて、父と母とは離婚を決意する。
 しかしその離婚の際、親権をどちらが持つかという事が問題となり、それは裁判にまで持ち込まれた。父も母も、我が子を手放したくなかったのである。
 裁判の結果は実に公平たる、しかし同時に不公平である結果に纏まった。僕には姉が居たが、父が僕を、母が姉を引き取るという形に相成ったのである。
 母は泣く泣く僕を手放した。そうして、その存在を忘れようとした。
 三年と半年の月日が流れた。母のもとに、一本の電話が入る。離婚した僕の父からである。
 内容は次の通り、やはり息子を育てて行かれないから、引き取ってくれというものであった。
 母は唖然とした。しかし同時に嬉しさに包まれた。急いで話を進め、渋谷のスクランブル交差点にて待ち合わせをした。しかし父が母に僕を引き渡した訳でない。不倫をしていた、けれどもその時は僕の第二の母になっていたその者が、引き渡しに行ったのである。僕は母であるらしい人に背負われて、何も知らぬまま、その時を待つ。
 僕は第二の母を好いていなかった。無論、父をさえ嫌悪していた。何故なら、父が、「お前の足の指の形が変だ。」と、蔑む様に、しかも嫌悪の表情で以て言ったからである。幼少の僕は父のその表情に、尋常でないものを感じ、恐怖した。従いて、第二の母の背中に隠れた、というこれが、今の僕が未だに覚えている過去の一片である。
 しかし第二の母を何故に好きでないかと言うと、実はその時分、例の、父と第二の母との間に出来た子供であろう、四つん這いの、髪の茶色い童子が居たのを、僕は忘れない。第二の母は、やはり自身の子供が可愛いのか、或いはただ単純に僕が偏屈なる童子であった為か、僕の妹に当たるであろうその少女を深く愛していた。
 或る真昼。僕が一緒では駄目だとかいう理由で、第二の母は妹と二人だけで外出した。一人取り残された僕は恐怖する。不安で不安で、居ても立っても居られなかった。
 僕は泣き出した。誰もが経験する童子のそれの様に、斯様な僕でも泣き出した。しかし泣いても何も解決はしなかった。第二の母の戻る訳が無く、また、漫画の様に英雄が助けてくれる訳でも無い。自身の泣き声が大きな家の中に響き渡るだけであった。
 僕は立ち上がった。そうして、玄関の扉を開けようとするが、鍵の掛かっている為に、しかもその鍵が僕の手の届かぬ高さにあった為に、僕はその孤独から脱出する事が出来なかった。しかし僕は脱出に成功したのである。
 と言うのは、窓から外へ抜け出たという事である。
 僕は窓を開ける。それは子供の僕にさえ開けられる位置にあった。窓の向こうには、緑色の葉がそれを埋め尽くしていた。
 僕は裸足で飛び降りた。それから玄関の方に回り、其処から続く道を見る。向こうに、第二の母と妹との背中があった。
 泣きながら走った。
 彼女等は振り返る。しかし第二の母は、物凄まじい剣幕で激怒した。僕は、その手に因りて家へと連れ戻されてしまう。
 これは土台からして、何処の家庭にもある事である。これが寧ろ、愛情であるという意見もあろう。しかし僕は静寂を感じたし、孤独だとさえ思ったのである。
 とは言え、幼い僕はその第二の母を実の母だと信じていた。だから、スクランブル交差点にて実母に引き渡された時、第二の母、しかし真の母だと信じていた母に、僕は捨てられたのだと思った。
 死ぬ程に泣いた。人込みに消える第二の母の背中が、その行き交う人々の中に溶け込んで、いよいよ俗に言う他人になった訳である。
 僕は死ぬ事を考えた。実母が手を握っていたが、それを振り払い、車の通る大通りに飛び込んだ。また、電車の線路に身を投げ出したりもした。それはしかし未遂に終わる。実母が僕の自殺を止めたからである。それでもやっとの事であったと、後に母は語った。
 実母に手を引かれている童子が、その者を母だと認識する事が出来ず、死のうとしているのである。母は、「この子を連れて帰られない。」そう思った。母は、母の母、つまり僕から見て祖母に当たる者に電話を掛けた。そうして、涙を流しながら言った。
「お母さん。この子を連れて帰られません。」
 祖母は憤慨した。
「お前の、お前の子供だろう!」
 母はそれに背を押され、自らの子を、遂に家へ連れて帰る事に成功したのであった。


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ