劣等感

□別離の酒
1ページ/1ページ

 彼は居酒屋で、酒を飲んでいる。そうして、誰かを待っているのであるが、相手はまだ、現れぬ様子。彼はただ、ひたすら、酒を呷る。一杯、二杯、三杯、まるで、何かから逃れる様に、酒を呷る。
 彼が、お代わりを何十回かすると、漸く、彼の友人は現れた。
 友人は、些か憂鬱そうに、しかし悠然と、彼の隣の席へ座った。友人の訪れに、少しばかり悲しそうな彼は、それでも、無理矢理に元気そうな声を出し、
「おお、我が友よ。よくお出でなさった。乾杯。まあ、飲みましょう。」
 友人は、その乾杯に酒を呷り、早くも、酩酊の者となった。
 彼は知っている。自身が何故、此処に居るのか。彼の友人も、無論、それは知っている。これが、二人の最後の酒であるという事を、嗚呼、互いに、知っているのである。しかし、互いに、その話は切り出されずに居た。
「我が友よ。ところで、あの女はどうなった。」
 友人は、こうした会話を、嫌っていた。けれども、それでもその会話に、今は…応えた。
「あの女。今は、音信不通さ。あれだけの事をされたのだ。今更、何の声を掛けられよう。」
 彼は、俄かに微笑んで、
「お疲れ様、乾杯。まあ、飲みましょう。」
 二人は飲んだ。吹き荒ぶ風の如く、兎に角、酒を飲んだ。そうして、酩酊の上に酩酊を重ね、酩酊の上を行く酩酊の者になった時、此処で遂に、彼が言った。
「君、僕達が一緒に飲むのは、これで、最後だ。」
 友人は一瞬、難しい顔をしたが、それでも、彼を受け入れる為に、苦笑した。
「わざわざ呼んでくれて、有り難う。」
 彼の両目からは、涙が流れていた。そうして、彼は、こう言った。
「君は僕を侮蔑した。僕も、君を侮蔑した。だから、終わりなのだ。さようなら。嗚呼、大切な親友よ。」
 友人は、にっこり笑い、
「君の様な親友を無くすのは、僕に取って、最大の損失だ。」
 そう言った後で、この友人も泣き、二人は肩を抱き合って、傍から見れば滑稽であろうくらいに、延々と、泣いた。
 こうして、最後の、別れの酒を飲み交わした後、二人は、雨上がりの曇り空の様に笑い、別々の道を、歩いて行った。



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ