劣等感

□不幸の上に咲いた七色の虹
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引っ越し屋に出勤して収入を得て、その収入から美奈子と逢う為の交通費が出来て、彼女と逢っては働き、逢っては働き、その繰り返しの日々が続きました。
私は美奈子に、凄まじい程、優しく接していたと思います。デートが終って帰る際には、きちんと彼女の自宅の最寄り駅まで美奈子を送りましたし、街はもう既に寒く成って来て、行き交う人の殆どが厚着をしたりマフラーを巻いていたりして、私も又、マフラーを首に巻いていて、それを、寒いだろうと思い、彼女の首に巻いてあげたり、自分の醜さは未だ、微塵も彼女には見せて居りませんでした。
然し、美奈子と交際を始めて約三週間が経ち、美奈子と逢っている最中に目まぐるしい程の嫌悪感の様な物が私の胸の内から押し寄せて来て、この嫌悪感の様な物が誰に対してなのか、何に対してなのかは判り兼ねますが、兎に角、不潔な気分に為り、私は、彼女に突如として別れを告げました。
美奈子は泣き出し、私は彼女を置き去りにして帰りました。私の地元で逢っていた時の事です。
急ぎ足で帰宅した私は、何故か途轍も無い寂しさに襲われ、居ても立っても居られなく為り、只、部屋の中をうろうろとして、美奈子からの連絡が凄まじい程に入って来ましたが、私は無視をして、嗚呼、嫌だ、と、自分でも理解不能な言葉を漏らしました。
美奈子からの連絡が途切れて、それから数十分が経ち、私はふと我に返り、その時には原因が不明だった嫌悪感も消え去っていて、私から美奈子に連絡をしました。
今は何処に居るの?と聞くと、元山さんの自宅の前に居る、と言い出し、私は愕然として、そのままさようならと言って仕舞っては、私は彼女に負けた事に為り、それは必然的に、女性に負けたと言う事に成り得る気がした私は、急いで靴を履いて玄関を出て、扉の鍵を閉めて元山の自宅まで走りました。それはもう、足が千切れる程の速さで。
美奈子は私と別れたら恐らく、元山と微妙な関係を、再度、始める事でしょう。
可哀相でした。彼女はきっと、常に誰かに愛されていたい人間なのです。この彼女の思想は軽薄の様に見えて、まぁ矢張り軽薄なのでしょうが、可愛らしくも在り、とても可哀相なのでした。
更に可哀相に思ったのは、私の様な、道化の仮面を被った恐ろしい怪物に木っ端微塵にされる事等考えても見ず、只、健気に私を信じている事で、それでも、私は道化師を止めるつもりは有りませんでした。
元山の自宅の場所は、前に元山本人から聞いていた事が在り、聞いただけでも正確な場所が判るくらい判り易い場所に在ったので、走って居りましたし、私は物の五分程度で其処に着きました。
美奈子は、元山の自宅のマンションの前の、公園のベンチに座っていて、酷く落ち込んだ様子でした。
目からは沢山の涙が零れ落ちて、私はそれを見て嘘泣きをしながら、ごめんね、と言いました。
美奈子はそれから安堵した様で笑顔に戻りましたが、私はこの日を境に、幾度と無く別れ話をする様に為りました。
理由は、只、彼女を愛していなかったからでした。酷い言い方をすれば、単純に、美奈子に飽きて仕舞ったのです。
彼女は、私が別れを口にする度に泣いて、私は、道化師は道化師に変わりは無いのですが、もう笑顔の道化師では無く、怒り顔の道化師に変貌していて、悪態ばかりを突く様に成り、美奈子はその私の変わり様には物凄まじい恐怖を感じた事でしょう。
彼女は、更に従順な犬に成り下がりました。
それでも、普段は嘘の幸せに私達は微笑み、綺麗で実は汚い、その様な日々を送って行きました。

或る日、美奈子は演劇のお稽古に行く、と言って、お稽古場所で何時間か練習をして、それが終ると色々な裏話を私に聞かせて、私も昔から演劇には興味が有ったので、自分もやってみたいと思う様に成りました。
その様な意思を彼女に伝えると、どうやら彼女の劇団の中のグループには主役が居ない様で、周りの役者は全員が女性で、主人公を男性にしたかったと言う事を聞きまして、その劇団のグループに加入しようと決心し、その時は只、興味本位でしか無かったのですが、美奈子が他のメンバーにも私の事を話してくれて、先ずはそれぞれのメンバーが、私の技量を計り知る為にオーディションと言う物を行いたいらしく、美奈子に或る台本と、その劇団のグループの、メンバーの全員が憧れると言う役者のビデオを渡され、私はその日の内にそれを拝見致しました。
その彼女達が尊敬する役者の演技には、想像を絶する程の凄まじさが在り、最初は私の視聴覚には受け付けられなかったのですが、アンダーグラウンドなその演技に、次第に飲み込まれ、テレビ越しにさえ感じる物々しい迫力に、私は固唾を飲みました。
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