劣等感

□害虫
2ページ/2ページ

 例えば、彼等が病原菌の媒介等をせず、普通に、一個の昆虫として生息していたと仮定しましょう。その場合、果たして、家のそこかしこに現れる彼等を、誰もが駆除と言う迫害を行ったでしょうか。確かに彼等芥虫は、一瞥しただけでも不気味な容貌を有して居りますので、生理的に駄目だと言う一言に葬られて仕舞うかも知れません、部屋中をうろうろと徘徊されては憤慨するかも知れません、然し、これはあくまでも仮定で御座います、その場合、昆虫として、兜虫や鍬形虫の様に、万人に愛される事も無くはありません。私はこの仮定を立てた上で、彼等を羨ましいと感じているのです。詰まり、彼等が駆除されるのは、衛生的に宜しくない訳ですのでそれは当然、然し、衛生的に宜しい場合は駆除されない可能性もあるのでは、と言う事で理解して頂けますでしょうか。
 私は、只、醜いと言うだけで、劣等感と屈辱感を痛感して居ります。悪い事等何もしていません。只、生きているだけなのです。それにも拘わらず、往来を歩き、醜い容貌が故に嘲笑の的になるのです。芥虫は衛生的に宜しくないので駆除、私は醜いと言うだけで駆除。この違い。故に、私は芥虫を羨望しているのです。先程に申し上げました、「私は美貌を手に入れる事が出来ましたら、『絶対に』、この惨めな生活を終え、楽園で暮らす様に輝かしい生活を送る事が出来るのだと確信して居ります。」と言う主観の本質的な意味合いは、私の中でこうして成り立っているのです。
 そして、美への憎悪。それは、然し、只の怨みなのかも知れません。美貌の所有者の方々は、決して、私のこの惨憺とした心情を理解出来ない事でしょう。私は、芥虫でもその他の害虫でも無く、何物にも劣る、醜く、不様な、何の価値も無い生物なのです。
 『汝は笑う。私を笑う。侮蔑、冷笑、嘲謔。許すまじとていざ眠らん。』
 あの芥虫の残した怨念は、不協和音になり、私の耳元で流れています。あの痛ましい映像と、この不吉な旋律。私は、あの芥虫を侮蔑していたのでしょうか、冷笑を湛えていたのでしょうか、嘲謔していたのでしょうか。それは、今も猶、解りません。
 只、私は、醜いが故に、人々の嘲笑に三半規管をやられ、一尺程の輪を作り、ぐるぐると往来の一角を回って居ります。然し、恐ろしい事には、誰も私を踏み潰してはくれないのです。死よりも恐ろしい現実。私は生かされる事も無く殺される事も無い、惨めな害虫です。
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ