劣等感

□遺影
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 少年は毛布の中で震え、何時しか眠りに就いた。
 目を覚ますと、「嗚呼、悪い夢を見た。」と少しばかり狼狽し、そして同時に安堵した。
 時計へ目をやると深夜三時であった。少年は、何か嫌な感覚を覚えながらも、もう一度朝まで眠る事にした。
 今となっては、朝までとは言わず、そのまま永眠に就きたい気持ちであった。
 翌朝の学校に、少女は来なかった。
 何時も一緒だった二人が別々になっているのを見て、周りの生徒達は不思議がった。
 少年はいよいよ不安に襲われた。
 あれは夢では無かった。現実だったのだと、再認識させられた訳である。
 顔が青冷め、手足が震え出した。吐き気もしたし、小便さえも漏らしてしまいそうだった。
 その日は担任の教師に早退を告げ、早々に帰宅した。
 帰宅して又も布団に潜り込む。しかし、どうする事も出来ない。正に袋小路。いや、暗闇であった。
 少年はその暗闇に苛まれ、「実際の暗闇」を想像した。
 物凄まじい恐怖である。
 元々から盲目であるのなら、それは受け入れるしか無いのであろうが、しかし、少女は幸福の中心で幸福を奪われたのである。少女は被害者だ。
 少年は考える度に不安になった。しかも、自分が加害者だと思うと、もうどうしようも無く恐ろしい。
 余りの恐ろしさに、少年は逃げる事を考えた。
 父母に泣き付き、いじめられているから転校したいと何度も頼み、最初は余り感心されなかったが、やがてそれは受理された。
 少年は現実から逃げ出した。
 そして少年は十八歳になり、何時しか少女の右目を奪った事を忘れた。
 いや、しかし、忘れた訳では無かった。これは心理学で言う所の、「合理化」であった。
 加害的であれ被害的であれ、人間は衝撃的な事件を受け入れられなかった場合、無意識という心の奥底にそういった事実をしまい込んでしまうのだ。少年は正にそれだった。
 少女の存在自体は忘れた事等無かったが、しかし、あの惨事は少年の深層心理の中で次の様に合理化されていた。
「愛する人が居たが、しかし、僕の家庭の事情で違う学校へ転校し、それ以来少女に会いに行っていない。」と、こうである。いかにも都合が良過ぎる。しかし、これは人間の防衛本能であった。

 春になったばかりの或る日、少年の元へ一通の手紙が届いた。
 苗字に見覚えがあった。いや、見覚えというよりは、少女の苗字と同じである。しかし、下の名前には見覚えさえ無かった。
 その手紙は茶色の封筒で、それを空けると二枚の便箋が入っていた。
「この度はあの小学校に貴方の住所を何とかお聞き出来、こうして手紙を書けて居ります。まともなご挨拶も無く大変恐縮で御座いますが、私の全うすべき事はこれだけだと思い、妙な期待をさせては申し訳ありませんが、娘のこれを同封致します。
 娘がこれを頼んだ訳では御座いません。その様な事は、決して御座いません。しかし、娘の気持ちを考えると、或いはこれがあの子に取って余計なお世話なのかも知れませんが、親として、こうせずには居られませんでした。貴方がその同封されている手紙を読んで、どう思われるか、それは私共には全く関係が御座いません。貴方には、只、最初から最後まで、それを読んで頂きたいのです。
 どうか、宜しくお願い致します。」
 同封のそれは、少女の遺書であった。

 遺書。
「お父様、お母様、先行く不幸をお許し下さい。
 在り来りなこの言葉を、まさか私がこうして現実に書き綴る等、夢にも思いませんでした。
 お父様、お母様、私は貴方達の家庭に産まれて幸せでした。しかし、不幸は家庭の外で起きたのです。
 小学生の頃、良く遊んでいた男子が居らしたでしょう。私は、その子を愛して居りました。
 小学生に恋愛の何が解る、と仰るかも知れませんが、私はあの感覚を、今でさえ愛情だったと申し上げる事が出来るのです。今でもあの頃を思い出しますと、涙がこうして流れます。
 私の右目は、お父様もお母様もご存知の通り、全く見えません。これは、私が口を割りませんでしたから、どういった経緯で右目を失ったか、お父様やお母様は全く存じて居らっしゃらないと思われますが、実を申し上げますと、その男子にされたので御座います。
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