劣等感

□雨宿り
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「雨、止みませんわね。」
 私は随分と長い間、黙り込んでいたであろう。彼女のその一言が、沈黙を消し去ってくれた。
「ええ。…」
 けれども、私は簡潔にそう返答して、話を上手く広げる事が出来ない。
 胃が痛み出した。連日の飲酒の所為であろう。のたうちまわりたい程の激痛が、私を襲う。
「体調が、悪いのですか。」
 私は左手で自身の胃の辺りを押さえていた。
「ええ。しかし、平気です。」
 また、やはり沈黙である。
 水溜まりは、相も変わらず商店街を対象的に映している。雨粒に揺られながら。
 ふと、私は声を上げて泣きたくなった。途轍も無い静寂感に、胸が苦しくなったのである。
 私は、彼女に尋ねた。
「僕は毎晩の様にお酒を呷って居ります。そうしてだらし無く、翌日の仕事へは遅刻をして行くのです。軽蔑なさいますか。」
 彼女は私のその問いに、実に自然に答えたものである。
「いいえ、軽蔑致しませんわ。」
 私は彼女に甘えたくなった。出来る事であるならば、彼女の胸で子供の様に泣きたいと思った。けれども、それは、出来ない。
 私は更に、彼女に尋ねた。
「僕はお酒を飲む為に、借金までしているのです。軽蔑なさいますか。」
 やはり、彼女は自然に答えた。
「いいえ。軽蔑致しませんわ。」
「僕には恋人が居るのです。けれども、他の女性を抱いてしまいます。軽蔑なさいますか。」
「いいえ。軽蔑致しませんわ。」
「僕は人を傷付ける悪人です。軽蔑なさいますか。」
「いいえ。軽蔑致しませんわ。」
「僕の所為で死んでしまった人が大勢居ます。軽蔑なさいますか。」
「いいえ。軽蔑致しませんわ。」
「路肩に横たわる猫の死骸を見ても、僕はその猫を埋めてあげないのです。軽蔑なさいますか。」
「いいえ。軽蔑致しませんわ。」
「小さい頃、蜂を虫籠に入れる事に成功致しましたから、蓋を少しだけ開けて、其処に鋏を入れました。鋏で蜂を三等分に分割したのです。軽蔑なさいますか。」
「いいえ。軽蔑致しませんわ。」
「僕は自身の今までの行動にさえ傷付いてしまいます。軽蔑なさいますか。」
「いいえ。軽蔑致しませんわ。」
「僕は自身のそうした過去が嫌で嫌で、死のうとしているのです。軽蔑なさいますか。」
「ええ。軽蔑致しますわ。」
 水溜まりに映る商店街が跡形も無くなる程、雨が降り注いでいた。


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