劣等感

□悪夢
2ページ/3ページ

 私と或る女性Aとは恋人関係である。私はAの自宅で、彼女の帰りを待っている。しかし、実際には私はAを待ってはいなかった。私は、Aを抱いたりした彼女の寝台の上で、他の女性Bと性行為をしたのである。
 恋人の自宅に、無断で他人を招き入れる等、今までにした事は無かったのであるが、しかし、その夢で、私はそうしていた。
 Bとの行為の後、私はAへの罪悪感に苛まれた。のみならず傷付いてさえいた(恋人以外の人間を抱いて自身が傷付くのは、やはり私が悪人である事の証明であろう)。私は、その寝台に裸体のまま寝転がっているBを放置して、自身の取った行動を後悔し続けていた。
 と、其処へBが悠然と、
「Aさんって、不細工よね。化粧も下手だし、女性としてどうなのかしら。」
 私は、Aは本命、Bは遊びと分別していた。Bもその事情を知って居り、Aという女性が私の恋人だと理解していた。Bの置かれている立場からして彼女がこういった暴言を吐くのも無理は無いであろうが、しかし私は一言に憤激した。私がAを傷付けるのと、他人がAを傷付けるのとでは全くの別物である。私は常にこう考えている。
 私は、Bの首に自身の両手を掛け、物静かに、しかし憤然と、
「お前、もう一度言ってみろよ。殺すぞ。」
 果たして、状況はいよいよ悪化した。私のこの言動に、Bさえもが憤怒した。言動に――?そう、行動にではない。言動に、というのが適当であろう。Bは恐らく、私に首を絞められた事に対して憤慨したのではなく、Aを守ろうとした私の思考に対して憤怒したのだと思われる。
「あら。その様な態度をして良いと思って?Aさんに、浮気の事を露呈するわよ。」
 Bのその声に、私の腕は力無く彼女の首に掛かっているばかり。
 私はBの首から手を離し、思考する。しかし何も考えられぬ。思考する振りをするばかりであった。
 そもそも私は、夢ではなく現実にAを一度だけ裏切った事がある。その浮気は、遠い様で近い過去にある。
 何故浮気をしたのか、それはまた何時か綿々と書き連ねる事にして、今は取り敢えずそれを省く。まあ、兎に角私は、浮気をしたのである。
 さて、その初めての浮気――つまり他の女性との情事の後、私はAに会いに行った。彼女は突然の自分の訪問に驚き、また、喜んだのであるが、彼女は私のした浮気の事実を何も知らない。当たり前である。彼女はただ、自分と会えた事に歓喜して、何処何処に行こう、ご飯は何を食べる?、今日は何時に帰るの等と尋ねたりした。
 何時もと変わらぬAが其処に居た。しかし何時もと違うのは、彼女以外の全てであった。例えるならば、一つの絵画がある。その絵画は、背景が一面緑色で、真中に可憐な菫の様な花が描かれている。その花の部分だけを切り取り、カンバスを黒色で汚く塗りたくっただけの、何の趣向も無いそれに貼り付ける。菫の花だけは依然として変わらない。しかし、その可憐な花を取り巻く景色や、その外情や内情の全ては変わってしまった、と、この様な具合であった。
 その光景を見つめながら、私は改めて彼女の純真さに気付き、そして自身の非道さを痛感した。
 私は彼女を不憫に思った。のみならず人を傷付けるばかりの私という悪人の存在する無意味さを、悔しく思った。
 頬を涙が伝い、そのまま私は号泣したのである。そう、身勝手な慟哭である。
 Aは、どうしたの、と私に尋ねた。私は事情の全てを話し、そして当然、彼女は激怒した。私は彼女と別れたくなかったから、仲直り出来る事を願い、そして無様ではあるが許してくれと説得した。
 結果、彼女は自分の頬をつねり、泣きながら、しかし笑顔で、「もう次は無いよ。」と言った。私の両目からは涙が止め処無く流れていた。まるで、やみそうもない大雨みたいに――。


次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ