じょじょ
□犬のきもち
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飼い犬に手を噛まれるという言葉がある。
怯えたり、怖がったり、怒ったりしたときに牙を剥いてしまうなんてのは、言葉も種族も違う犬と人間の、ある意味体当たりなコミュニケーションで、もし、もしも飼い犬が手を噛んでしまった時、人間がずっとその事を忘れないように、飼い犬だってずっと飼い主の事を覚えているのだ。
犬のきもち
小さなわたしより大きな人に囲まれて、大きな大きなお家の前に進む。
大きな人たちに壁のように囲まれて捕まった小さなわたしは、初めて乗った黒い車で知らない道をずっと座っている間に此処に来てしまったようだ。
小さなわたしの小さなお家は、もう小さなわたしが入れないくらい小さくなって消えてしまって、この大きなお家の前でどうしようもなく立っているしかなかった。
辺りの大きな人たちは、だいたいが真っ黒の服を着ていて、私を見もしない。
此処から逃げてしまおうかと考える。
壁のように佇む人の隙間から、鉄の格子に阻まれた外の道を見渡してもわたしの知らない風景に足がすくんで、わたしは困ってしまってやっぱり立っていた。
暫らくすると家の中から大きな両開きの扉が開いて誰かが出てきた。
大きな人たちがあっという間に端によってしまって、わたしへと真っ直ぐ進んでくる、大きな人達より小さくて、小さなわたしより大きな中くらいの人。
黒い人たちと比べて、随分不思議な格好をしているのだな、と思ったけど、目の前でわたしと目を合わせた中くらいの人の髪と眼の金色を見たら言葉が引っ込んでしまった。
「名前は?」
中くらいの人はわたしの目をじぃっと見ながら尋ねた。
「・・・ミード」
「どうやら間違いないようですね」
中くらいの人は大きな人にとっても偉そうに「ご苦労」と声を掛けると、わたしの手を引いて大きなお家へと歩いていく。
もつれそうな足を動かして、引っ張られる手の方へ歩いて、階段を上がって、また歩いて。
そうやってたどり着いたお部屋には、沢山の紙の束とミードよりずっと小さな亀さんがのっそりと首を上げていた。
「かめ?」
わたしの呟きに答えずに、中くらいの人はコツコツと指先で亀の甲羅を叩く。
そしてわたしの手を握ったまま、動くのを止めた亀の背中にある真っ赤な石に触れたのだ。
途端に宙へとミードの足が放り出される。
真上にある真っ赤な窓を見ながら落ちると、ズドンとお尻に衝撃が入った。
目の前がチカチカして、ミードがさっきまで薄暗かったお家の中とは様子が違う事に気が付いたのは直ぐだった。
部屋の中には長いソファと机と色々な家具が行儀好く並べられていて、足元はふかふか暖かいカーペットが敷かれている。
自分の靴と服が泥だらけで汚れていることを思い出して、ミードが慌てて立ち上がれば、ちょうど後ろにいた中くらいの人がミードの腕を掴んで、彼の正面になるように立たせた。
「この子を預かって欲しいんです」
中くらいの人が、わたしの目の前に居る人にそう言ったのを聞いて眼を瞬く。
わたしが前にいたその人を見て初めに思ったことは、変わった椅子に座ってるなぁと妙に間の抜けたことだった気がする。
男の人だろうか?
一目で銀だと印象付いた髪色と、片方だけの空色のお眼目がぼんやりとわたしを見ている。
銀色の足は付いているけど、それじゃ立てないのかもしれない。スラムでこういう人を見た事がある。
などと思いながらミードは自分の脚を見て、あぁ、この人の足は随分細いんだなぁ、と互いの脚を見比べてぼんやりしていた。
裸足で来てしまったけど、お部屋を汚さないだろうかなんて思っていた頃、急に中くらいの人がわたしの肩に手を置いたせいでびくりと背が伸びる。
銀の人と中くらいの人はしきりに何かを話しているらしいけど、わたしにはその会話はちっともわからなかった。
暇だなぁと肩に乗せられた手を揺すって遊ぶ。
時々、ドッピオという言葉が聞こえて、彼が此処にいるの?なんて、口には出さないけど、そろそろと視線を動かして辺りを見渡したりしてる内に二人の話は終わったらしい。
「ミード、彼はポルナレフさんです」
中くらいの人がわたしを抱えて、改めて銀の人を見せながら、あるいは彼にわたしを見せていたのかもしれないが、自己紹介しなさいとわたしに言う。
いつの間にか彼らの話す言葉は聞きなれた日本語に変わっていたようだ。
「ぽる?」
「ポルナレフだ」
「ぽるん」
この家の人で、初めて知った名前に少し戸惑う。ポルナレフなんて変わった響きが何処から出てきたんだろう。少なくとも日本人では無さそうだ。
「貴女がこちらの言葉を話せるようになるまで、彼にこの部屋で貴女の面倒を見てもらうんです。きちんとお呼びして下さい」
金の人に後ろから固い声を掛けられて、銀の人を見れば、彼は困ったように眉尻を下げてもう一度「ポルナレフ」と名乗った。
「ぽるなれふ」
「出来るなら敬称を、il signore(イル・スィニョーレ)をつけるように」
再び金色の人から発せられた長い音に頭の中が混乱したが、ミードは頑張って舌を動かしてみた。
「いる・しのー…ぽるなれふ」
「発音が…いえ、いいでしょう。そこは追々何とかなるものです」
「日本語しか話せないのか?」
「簡単なイタリア語ならわかると聞いてますし、大丈夫でしょう」
「そこから覚えさせないといけないわけか…」
息を吐いた銀の人が、わたしを手招きして呼んでいる。
中くらいの人が肩から手を離した。
「Vieni(おいで)」
呼ばれて困って、中くらいの人を振り返ろうとはしたけど何となくあの金の眼を見たくなくって、わたしは走って銀の人の後ろにしがみ付く。
慌てた銀の人の後ろから見た金色の人は、やっぱり少し怖い顔をしていた。
拾われた子はやっぱり戸惑う
新しいの主人は銀の人。