短編置場

□言って。
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 玄関のドアの前に黒い小さな塊を見つけたその一瞬、ほんの一瞬だけ、会社に戻ろうかと思った。

「……何やってんの?」

 声を掛けると腕に埋めた顔が上がり、ふにゃっとだらしなく笑う。

「あ、たっくんだぁ〜」

 溜息を吐いて、前にしゃがんで、少し赤味が差した顔を覗き込む。

「お前ね、たが付く名前を全部たっくんって呼ぶのやめなよ。ってか、何やってんの?」

 ふにゃふにゃの笑みを浮かべたまま、手袋をしていない冷たい手が頬にぺちぺちと当てられる。

「違うよ、たっくんはたっくんでしょ? たっくんは、たっくんしかいないじゃない?」

「俺は、こんな時間にこんな所で何やってんのかって訊いてんの。こんな真冬にさ、馬鹿じゃないの?」

 言いながら額に手を触れる。熱い、相当に。頬は赤い。一体何時間ここに居たんだ、この馬鹿は。
 
「だってね、たっくん居ないから。合い鍵忘れたし、待ってたの」

 溜息、溜息、溜息。文明の利器も猫に小判か。

「来るなら来るで連絡くらいしなよ。そしたら早く帰るくらい出来たのに」

「えへへ、ごめんなさぁい」

 しゃがんでいた体がくにゃりとコンクリートの冷たい床に座り込む。……限界、か。

「……ほら、ここで寝ない。立って。ほら、中入るよ」

「あはは、寝ないってばー。うんうん、お家入ろぉ」

言うけど、言葉と体が連動できていない。
深々と溜息を吐いて、力の入っていない腕を自分の首にかけさせて、脇の下辺りと膝の下に手を入れて、出来るだけゆっくりと抱え上げた。

「…………ごめんね、たっくん」

「謝るくらいなら今度からすぐ連絡しな」

「うん……ごめんね……」
 
 溜息。分かっているから尚更深くなる。
 彼女が突発的にこんな行動を起こすのは、大抵が我慢出来ない何かがあった時だ。それは得体の知れない漠然とした不安だったり、一人で考えて考え過ぎて訳が解らなくなっていたりと様々。しかも爆発する寸前までそれを誰にも言わないし、表面に出さないように無理をして、誰も頼ろうとしない。俺さえも。
 

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