novel

□プラナリアの卵
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生まれ変わったら何になりたいか、という問いにプラナリアと返したのは美咲が初めてだった。放課後の理科室でのことだ。

花も盛りの女子高生がこんな薬品くさい所で何をしているのかといえば、水槽の金魚に餌をやっている。

ただし餌をやっているのは美咲一人で、私はといえば、数学の宿題を前に延々と手の中のシャープペンシルを回し続けている。

夏休みを過ぎたとはいえ、クーラーもない理科室では思考回路も茹だってしまうのだ。

私はプリントを畳み、椅子から伸び上がるようにして机に腹這いに寝そべった。

汗に濡れたシャツが肌に張り付き、予想外の冷たさに身震いする。

机にぴったりとつけた頬から急速に熱が失われていった。

「プラナリアって何だっけ」

「私も詳しくは知らない。どんなに細かく切られても、切られたその場所から再生するって何かの本で読んだだけ。読んだのはずっと前だけど、それだけが強く印象に残っていて」

美咲の声は小さい。

それなのに振り向いてくれないから、本当に聞きづらい。

机の上で寝返りを打つと、美咲の横顔が見えた。

水槽の光が乱反射している。

透き通った肌に落ちる睫毛の影や、身じろぎするたびに揺れる長い黒髪。

美咲はいつ見ても人形じみている。

触れたら壊れてしまいそうな、という言葉があるが、美咲に至ってはあながち大袈裟な表現でもない。

私は美咲の髪を掬い、目の高さまで上げてさらさらと落とした。

美咲は水槽を見つめたまま微動だにしない。

「どうしてプラナリア?」

「無性生殖の生き物だから」

 美咲の答えは淀みない。

私はああ、と声を上げる。

美咲の言わんとすることが分かった。

「でもプラナリアは恋をしないじゃない。……ううん、プラナリアだけじゃなくて、人間以外の生き物は恋をしないんだよ」

だから人たるもの恋をし、愛すべきなのだと最近売れ出した歌手が言っていた。

ロマンチックなようでいてどこか哲学的な言葉だ。

観念を植え付けられるような不快感にすぐチャンネルを変えてしまったが。

「そういうことじゃないのよ」

 美咲の声に混じった微かな苛立ちを、私は聞き逃さない。

「そういうことじゃないの」

もう一度力なく繰り返し、美咲は手に持っていた容器に蓋をした。

金魚の餌だ。

水面を埋め尽くすフレークのせいで、水槽の上から金魚を覗くことはできない。

横から眺めると、水を吸ってふやけたフレークから水中に沈んでいくのが見えた。

まるで四月の桜のようだ。

フレークが消えては与え、消えてはまた与えの繰り返しである。

際限なく餌をやるせいで、小さかった金魚は今や破裂するのではないかというほど丸々と太っている。

だが私を除いて誰もそのことに気がついていない。
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