刻まれた証

□12.等価交換
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 芥川が内ポケットから取り出して俺に渡した白い封筒は、大切にしていたのか皺はほとんどなかった。綺麗な便箋にびっしり書かれた丁寧な字を見ると胸が詰まる思いだった。

 手紙の中でさえ、美咲は俺に心の奥底にある本当の気持ちは見せないつもりだったらしい。だが、隠しきれなかったんだな。
 すまない。本当に、すまなかった。俺は結局お前を助けてやれなかった。肝心な時に頼りにならないダメな兄貴で、本当にごめんな……。



「転校する少し前に渡されたんだ。自分はここを離れなくちゃいけないから、もしここにお兄さんが来たら渡してくれって……。美咲のお兄さん、美咲は今どこに……? 謝りたいんだ、俺」

 やはり芥川は美咲が死んだことを知らなかったようだ。いや、芥川だけでなくこの学校の奴らは誰も知らないはずだ。

「……読むか?」

 俺は芥川の質問に対する答えとして便箋を差し出した。突然のことに驚いて返答に困っているようだったが、俺が無言で差し出し続けていると遠慮がちにそれを受け取った。
 人の手紙を見せるなどマナー違反だと思われそうだが、彼女の思いを知ってもらうにはこれが一番確実だと思う。悠輝も芥川になら見せることを許してくれるだろう。

 ゆっくり、一文字も見逃さないと言う風に便箋を見詰める芥川。しばらくして奴の目からは新たに涙が流れ始めた。そして戸惑ったように、怒ったように俺を睨みつけてきた。

「そん、な……嘘だろ? 美咲が死んだなんて、そんなことあるはずない……。美咲は今どこにいるんだよ……!!」
「美咲は聡い子だったよ。だからって、自分の生死まで悟らなくてもいいだろうに……」
「嘘だ……嘘だ……そんなことって……美咲……」

 芥川はどれだけ泣くつもりなんだろう。俺は長らく涙を流していないし、きっともう涙なんて出ないだろうから、少し羨ましくも思った。美咲が亡くなった時も激しい怒りと後悔、悲嘆の情は生まれたものの、終ぞ涙は出なかった。俺が最後に泣いたのは一体いつだったか。

 どれだけ時間が経ったのか、やっと美咲が死んだことを受け入れられたらしい芥川が静かに話し始めた。

「美咲にこんな過去があったなんて、全然知らなかった……。俺、あの子のこと何も知らなかったんだ……」

 俯いた芥川の表情は分からない。しかし、小刻みに震える身体と僅かに聞こえる嗚咽がその感情を表していた。言葉にしなければ伝わらないとはよく言うが、実際に人の感情を知りたければ、その人の発する言葉だけではなく非言語的なメッセージを読み取らなければ話にならない。

「それを言うのなら、お前の知っている美咲を、俺は知らない」

 俺の言葉に反応した芥川は少し顔を上げて困ったような表情をしていた。氷帝学園の生徒達を簡単に許す気にはなれないが、美咲が親友とまで言っている芥川を憎む訳にはいかなかった。

「よかったら、美咲のことを聞かせてくれないか」

 芥川は戸惑ったように俺を見つめていたが、少しずつ学校での美咲のことを話し始めた。英語や理科は得意だったけれど、社会は少し苦手だったとか、ランチで出るプリンが好きだったとか、女の子らしく色々な髪型に整えるのが好きだったとか。そんなどうでもいいような内容であったが、俺にはこの上なく楽しく、そして切ない話だった。

「美咲は学校生活を楽しんでいたんだな。それが分かっただけでも良かった。……またゆっくり聞かせてくれないか? 残念ながら、今日は時間がないんだ」
「俺でよければまたいくらでも話すよ。……ううん、俺がお兄さんに聞いて欲しいんだ」

 本当は美咲の話をもっとゆっくり聞いていたいが、人も待たせていることだし話を戻そう。

「この手紙だが、単なる遺書じゃない。死因も自殺じゃなかった」
「美咲は自殺なんかする子じゃねぇよ! 手紙にもそう書いてある! ってことは、誰かに殺された……?」

 俺が美咲の死を知ったのは、検死も済んで捜査結果が出た後だ。俺と彼女の繋りはすぐには発見されず、自宅を丹念に捜査して初めて俺に辿り着いたらしい。だが、それは当然だった。

 軍人、それも将官であり、国家錬金術師である俺と兄妹だと知られれば当然危険が伴う。だからこそできる限り彼女を遠ざけた。もう家族を失いたくはなかった。

 だが、それが裏目に出て、助けてやらなければいけないことにすら気付けず、知った時には全てが終わってしまっていた。自分の余りの不甲斐なさに声も出なかった。俺は何度失敗を繰り返せば気が済むのだろう。

「美咲は俺のせいで死んだんだ」
「な、何言ってんの……? お兄さんのせいなわけねーじゃん……!」

 芥川は俺を庇うように必死で否定した。けれど俺が関係していることはもはや揺るぎようのない事実なのだから、その庇い立ては虚しいだけだった。俺が美咲を日本へ移住などさせなければ、彼女は今も楽しい人生を送れていただろうに。



「あのさ……美咲のお兄さん」
「いちいちそんな呼び方しなくても、別に名前で構わない」

 一瞬驚いたように目を見開いていた芥川は、死にそうな表情から少しだけ顔を綻ばせながら頭を何度も縦に振って了解の意を表した。

「サンキュー悠輝くん。じゃあさ、俺のことも名前で呼んでよ。俺の名前は」
「慈郎、だろ?」
「あ、うん……。覚えててくれたんだ、嬉C」

 美咲を最後まで信じ、美咲が親友と認めた少年なら信じてみても良いかもしれない。

「気になってたんだけどさ、何で悠輝くんって変装してたの?」
「俺が軍人だってのは分かっただろ? これでもアメストリスじゃ結構有名なんだ。思わぬところで誰かにバレると困るからな」

 どうせ眼鏡は取ったのだからとウィッグも外して見せると、慈郎が呆けた顔でこちらを見ているのに気付いた。声をかけると驚いた顔であたふたし始めた。素になると落ち着きのない性格なのは分かっていたから、今更驚きはしない。

「何つーか、変装すんの勿体ねーなって思って……。いや、それより悠輝くんってマジで日本人?」
「父親が日本人で母親がアメストリス人だから、純粋な日本人ではないな」
「へえ、だから髪が金色なのかぁ。俺の染めた金髪とは違って綺麗だC。それに赤い瞳って初めて見た。こんな鮮やかな赤って……」
「まるで血みたいだろ?」
「え……?」

 多くの人間の返り血を浴びてきた俺に相応しい血の如き紅い瞳だ。人種の違いで肌の色が違えど、血の色だけは変わらない。鏡を見る度、俺が殺めてきた人物達が脳裏を過る。この瞳の色は、罪深い俺にとって、己の罪を忘れないための物なのだとさえ感じる。

「血ってさ、人間には絶対必要なものじゃん? だからその、何て言うか……。俺頭良くないから上手く言えねぇんだけどさ、悪い色じゃないっつーか、大切な色、なんじゃないかなって思う訳。……うーん、まあとにかく俺が言いたいのは、悠輝くんの瞳は綺麗だってことだC!」

 慈郎の言葉は脈絡もなければ根拠もない完全なる個人的な感情からきたものだったが、俺は確かにその言葉に喜びを感じた。今まで恐れられることは何度もあれど、褒められることは少なかった俺の瞳だ。綺麗などと言う人間は初めてだった。
 慈郎、お前は純粋な人間だな。きっと幼い頃からずっと、変わっていないんだろうな。

「でも、どうして俺には本当の姿を見せてくれたの?」
「……等価交換、だな」
「とうか……?」

 何かを得るためには同等の代価が必要となる。それが錬金術における等価交換の原則だ。真実はどうあれ世界はそれを軸に動いている。

「錬金術、か……。でも、それなら俺は悠輝くんに何かあげられたってこと?」
「慈郎は美咲の手紙を無事俺に渡してくれた。そしてその代価に俺はお前に素顔を見せた。……ってことにしておいてくれ」
「等価交換か……」

 全く俺も素直でない。もしも等価交換が成り立つのならば、慈郎にもらったものはそれだけではない。
 素性の知れない俺を無垢なまでに信用する心そのものを俺はもらったんだ。荒んだ世界に生きてきた俺には、それほどまでの好意はエルリック兄弟以来かもしれない。それこそが慈郎が俺に与えてくれた対価だろう。

 そして、俺が慈郎に払った本当の代価は、俺もお前を信用したということだ。巻き込まないと決めはしたが、最早それは無理だった。起こしたことの責任くらいはしっかり取らなければ。

「あんま遅れると跡部に怒られちまうし、そろそろ部活行こっかー」
「ああ、俺は野暮用を済ませてから行くから、先に行っててくれ」
「……そっか、じゃあまた後で!」

 一瞬何か言いたそうな顔をした慈郎だったが、結局何も聞くことなく屋上を出て行った。俺も立ち上がりながら慈郎を見送り、慈郎が出て行った後も暫く扉を眺めていたが変化はない。

 痺れを切らした俺は仕方なく声を掛けてみた。扉の向こうに居るであろう相手に向かって。

「盗み聞きとは、良い趣味してるな」


To be continued ...




シリアスに……なるべくシリアスにしようと思いました。結果、後半がグダグダになりました。

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