刻まれた証

□01.始動
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守ってやれなかった

許してくれとは言うまい

ただ一つだけ聴きたかった

お前は自らの命を代価にして、何かを得たのだろうか


1.始動


 人間一人がこの世を去ったところで、それが国の主要人物でもない限り世界に何ら変化はなく、いつもと変わらず動き続ける。それを残酷だと言うつもりは毛頭ない。死なんてものは所詮、毎日繰り返される生命サイクル上の一つの過程に過ぎないのだから。

 だが残された者はどうなる。たとえ世界に変化がなかろうとも、愛する者を喪った人間にそんな理屈が通用するはずがない。置いて逝かれた者は、今まで通り過ごせるのだろうか。俺は今まで通り過ごせているのだろうか。

 返って来ることのない問い掛けを、俺は一人何度も繰り返していた。


 義妹の葬儀から既に一ヶ月以上が経過している。平和な日本に居たはずの義妹、美咲の死を告げた報告は、俺達に大きな衝撃を与えた。にわかには信じ難いその報告を聞いた時、仲間内で一番冷静だったのは俺だったように思う。そのせいで逆に周囲に心配を掛けてしまったくらいだ。

 だが、そんな俺が本当に彼女の死を事実として受け入れる事ができたのは、移送されてきた彼女の遺体を見た時だったのかもしれない。永らく会っていなかった少女と最悪の再会を果たしたその瞬間、こんな事なら日本に行かせるのではなかったと言う後悔の念が込み上げてきた。今更嘆いても何もかもが遅過ぎると言うのに。

 恐らくその時からだろう。誰に対してもひた隠しにしてきた、鬼神の如く荒々しい感情を制御できなくなったのは。人の感情はそのまま行動に表れるらしい。デスクワークに追われる俺の前には、明らかに雑な字で書き殴られた書類が積まれていた。

 身内を喪えば同情はされるが、かといって立場上仕事が減る訳ではない。忌引き休暇から復帰した後の俺は、余計なことを考えないように仕事に没頭していた。再び訪れる書類に目を通すだけの味気ない日々。変わったようで変わらない日常。自分の生活は美咲が居なくなる前と何も変わっていない。そんな虚無感を抱いていた俺に、転機を呼び込んだ男がいた。

「五十嵐中将、ロイ・マスタング大佐であります」
「開いている、入れ」
「はっ、失礼致します」

 ノックと共に聞こえてきた声と名前は俺のよく知るもので、躊躇いなく了解の意を示して招き入れた。どうせ仕事の報告に託けてサボりにでも来たのだろうと思い人払いはしておいたが、大佐の表情を見て別の意味で部下を下がらせておいて良かったと感じた。軽く居住まいを直して目の前の男を見遣る。

「どうしたんだ、大佐。俺はこう見えても忙しいんだが」
「そうあからさまに嫌そうな顔をするな、ユーキ」

 目の前の呆れ顔の男、ロイ・マスタング大佐は、俺が一時的に赴任している東方司令部の将校だ。元々は大総統府勤務だった俺だが、現在は視察を兼ねてこの東方司令部に配属されている。当初は左遷かと疑心暗鬼を生じていたが、どうやら本当に期限付きの視察らしいことが最近判明した。

 東方司令部所属のマスタング大佐とは付き合いも長く、たとえ俺の階級の方が上であろうとも世話になることは多い。
 そもそも俺がこの歳で中将という破格の地位に上り詰めることができたのには、他の軍人には言えない明確な理由がある。そんな訳で若輩者の俺に反発する者も多いが、ありがたいことに今の所は俺を認める軍人の方が多いらしい。
 少し脱線したが、つまり何が言いたいかというと、大佐の実力的には訳ありな俺なんかの部下に治まっているべき人材ではない、ということだ。

 ちなみに入室の時こそ敬語ではあったが、大佐やその部下一同からは差し障りがある場合を除いて砕けた口調で話しかけられており、呼び名もファーストネームの方だ。俺の方は、基本的にファミリーネームと階級で呼ばせてもらっている。

「で、今日はまたどうしたんだ。サボりに来た訳ではなさそうだな」
「実はお前に見せたい報告書があってな」

 用件を促すと、意味深な物言いで一枚の書類を差し出された。一通り目を通すと至って普通の事件記録だった。内容は一年前まで断続的に起きていた連続殺人事件に関するもので、犯人は未だに捕まっていない厄介な案件らしい。最近は犯行が報告されていないが、被害者が軍関係者のみと言う点が軍部を震撼させている。

「例の軍人狙いの山か……。スカーといい、軍人は相当恨まれているらしいな。だが、これが一体どうしたんだ?」
「もう一枚見せたい書類がある。この件について私が独自に調査した結果だ。……まだ誰にも見せてはいない」

 仕事熱心なことで。そう茶化しながら受け取った文書は、大佐が特定した容疑者とその潜伏国を示したものであった。どうやって調べたのか、信憑性はどの程度あるのか、なんてわざわざ聞く必要はない。大佐が俺に告げることを決めた時点で裏付けは完璧なはずだ。

 これを上に報告すれば近い内に被疑者は確保されるだろう。だが、そうすると俺は、こいつが吐き出すかも知れない言い訳も動機も後悔も、そしてあるか分からない謝罪の言葉すらも、直接聞くことなく終わってしまう。そんなことは絶対に許せない。

「マスタング大佐……この報告書はこちらで処理するが、異存はあるか?」
「いえ、ありません。これは五十嵐中将に提出すべく持参した物ですから」

 ニヤリと不敵な笑みを見せる大佐はやはり食えない男だ。常に手を貸して欲しいとまでは望まないが、せめて敵にだけは回したくない人物だと思う。

「そうか、すまない」

 果てしない怒りと憎しみからか、それとも復讐できることへの歓喜からか、俺の顔には自然と笑みが零れる。自分がどんな顔をしているかなど鏡を見なければ分からないが、この表情が決して楽しそうな笑顔でないことだけは断言できる。

「狙われていたのは、俺だったか……」
「ユーキ、自分を見失うな。私はお前を信じているぞ。それで、これからどうするつもりだ?」
「ああ、迷わず正面から行く」
「そうか、そうだな。確か彼女が通っていたのは、日本の───」

 何の変哲もない一枚の紙切れは、誰も知り得ない真実への、これから始まる悲劇への入り口に過ぎなかった。



「なぁ、本当に行くのか?」
「当たり前だ。仕事だからな」

 二日前にたまたま東方司令部に帰ってきたエルリック兄弟は、どこから聞いたのか美咲の死を知っていた。美咲と歳が近く仲の良かった二人は、自分達も辛いだろうに俺を励まそうと執務室にやって来たくれたらしい。

 だが、俺は既に悲しみは断ち切っていた。今の俺にあるのは憎しみだけだ。俺にそんな資格はないと分かっていても、感情に嘘はつけない。

「日本か、懐かしいな……。本当に、こんな形で戻ることになろうとはな……」

 笑っては見せたが、邪な感情のせいで僅かばかり顔が引き攣っていたかもしれない。ただの部下であればそんな俺の感情には気付かなかっただろう。些細な表情の違いも敏感に感じ取ってしまう彼らだからこそ、こうして顔を曇らせているのだ。

「ユーキさん、気を付けて下さいね……」
「アルは相変わらず心配症だな。俺なんかよりエドの心配をしてやれよ」

 アルフォンスに言った言葉はただの戯言ではない。エドワードは放っておけばどんな無茶をしでかすか分からないような人間だ。弟の為なら自分が犠牲になっても構わないとすら思っているに違いない。弟はそんなこと望んでなどいないのに。

「ユーキ、お前な! 俺達は本気でお前を心配して……! ……いや、言っても無駄だよな、お前には」

 この兄弟とはもう四年近い付き合いになる。会う回数はそう多くないが、俺が最も気を許しているのは間違いなくこの二人だろう。兄である鋼の錬金術師ことエドワード・エルリックは俺より二歳年下で、最年少国家錬金術師として国中にその名を馳せている。そして弟のアルフォンスも国家資格は持たないものの、兄に引けを取らない凄腕の錬金術師だ。二人は俺を慕ってくれているし、俺も二人のことは本当の弟のように可愛く思っている。

 だが、それだけではない。友達などとあっさり呼べるような関係ではないのだ。自分と境遇の似たこの兄弟とは、血の繋がりにも劣らない深い絆で結ばれていると俺は思っている。

「なあユーキ……俺達も日本に連れて行けよ」
「何をいきなり……。お前達にはやるべきことがあるだろ? それにお前はマスタング大佐の部下だから、勝手には連れては行けない」
「それはそうだけど……」

 これ以上この兄弟に何も背負わせる訳にはいかない。巻き込めばきっと二人はまた心に傷を負うことになるだろう。ただでさえ傷だらけの二人にそんなことはさせられない。俺達の関係は、兄弟のような、友のような、そんな気楽なもので十分だ。

「流石に無理だよ、兄さん。でも、本当は僕だってユーキさんに付いて行きたい気持ちなんだってことを忘れないで下さいね」
「アル……」

 鎧の身体が金属的な音を発しながら俺の方へ向き直る。表情など本来分かるはずもないが、アルフォンスが真剣な顔をしているのであろうことは伝わってきた。そうか、俺は少しばかりこの二人に近付き過ぎたようだ。本心を見抜かれて、偽ることすら許されない。

「とにかく! 無茶だけはするなよ、ユーキ!」
「ああ、分かってる。けどその言葉、そっくりお前に返してやりたい気分だ」

 次に二人と会う時は、俺は一体どんな顔をしているだろうか。達成感に満ちた顔か、虚しさにさいなまれた顔か、それとも……

 いずれにせよ、行くしかない。歯車は既に動き出してしまったのだから。止める術はただ一つ、その歯車を壊すのみ。その為ならば俺は、捨てた故郷の地を再び踏もう。


To be continued ...




エルリック兄弟にとって、主人公は頼れるカッコイイ兄貴。でも、もっと本心を語って欲しい。大佐にとっては、上司で実力も認めてるけど、どこか心配でほっとけない。そんな感じです。
とりあえず、この連載では真面目に中二病的な感じを目指していきます(笑)

 

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