刻まれた証

□03.戯れ
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手に入らないと知りながらも

彼らのように普通の人生を送ることを

有り触れた日常を過ごすことを

心の底では望んでいた


3.束の間の戯れ


 中途半端な時期に転入してきた桐生と言う生徒。噂によれば難しいと言われる氷帝学園の編入試験を異例の満点で合格したらしい。しかし、その偉業にもかかわらず、周りの生徒はダサい奴が入ってきたと理由をつけて完全に敬遠している。そして、俺自身も初めは思っていた。関わるつもりなど毛頭ない、と。

「言っておくが、ここのテニス部は厳しいぜ」
「いえ、僕は選手として入部するつもりはありませんので」
「何だ、マネージャー志望か? 男の癖に珍しいな」

 変装により雰囲気をがらっと変えた悠輝はどう見てもインドア派で、一見運動が不得手なタイプに見える。だが、体格まで完璧に誤魔化すことは不可能だ。軍で鍛え上げられたその身体は、細く見えても実際は筋肉で引き締まっている。

 たとえ制服で隠されていようとも、スポーツをやっている者がよく見ればそれに気付けないことはない。跡部も例外ではなく、実際に悠輝の肢体を見たからこそ選手として入部するつもりなのだろうと判断した。しかし、当の本人は端からマネージャーを希望していると言う。

「氷帝は強豪校だそうですね。今朝、宍戸君と言うテニス部の方に聞きました」
「あいつに会ったのか」

 この広い校内で二人が既に顔を合わせていたことに対し、跡部は素直に驚いた。職員室まで案内してもらったんですよと言って悠輝は話を続ける。宍戸が悠輝相手にテニスに対する秘めた思いを語ったことを聞き、跡部は訝しみながらも黙って耳を傾ける。少なくとも彼が知る限りでは、宍戸と言う少年は親しくもない相手に自分のことを話す人間ではなかったはずだ。

「そうか。あいつがそんなことを、な……」

 跡部が思わず呟いてしまった台詞に反応した悠輝だが、何でもないと言われればそれ以上詮索もできない。だが、跡部と宍戸がそれなりに親しい間柄のようだと言うことだけは感じ取った。

 対する跡部は表情にこそ出さないが、悠輝を警戒し、観察し続けていた。一見すると地味だが真面目な優等生。隣の席に座る跡部と親しくなろうと話し掛けてくる姿は、一般的に言えば社交的で好感が持てる。
 だが、向けてくる殺気と憎悪の存在は否定できない。隠し切れずに漏れているのか、そもそも隠すつもりがないのか。どちらにせよ厄介だと跡部は心の中で舌打ちした。柄にもなく言いしれぬ不安に駆られている己を自嘲しつつも、その身を構えることは止められない。自分の思い過ごしならばそれでいい。

「どうしました、跡部君?」
「いや……」

 見た目はお世辞にも良いとは言えないが、話す内に跡部が気付いたある種のカリスマ性とでも呼ぶべき性質。目の前の男が纏っている雰囲気は、人を束ねる人間の物だ。自分自身が上に立つ人間であるからこそ、跡部はそれに気付き、確信した。

「おーい跡部、英語の教科書持ってねぇか? 他の奴誰も持ってなくてよ……って、桐生?」

 チャイム直前に跡部を呼びながら教室に入ってきたのは宍戸だ。水面下で敵対し合っている跡部と悠輝のことなどいざ知らず、間に割って入るようにつかつかと跡部の席に近付いていく。そして、今朝会った転校生である悠輝の存在に気付き驚いた顔をした。

「お前跡部と同じクラスになったのか。しかも隣の席かよ」
「はい、実は。それより、今朝はどうもありがとうございました。助かりましたよ」

 礼なんて良いと返す宍戸は僅かに照れた表情を見せる。そのまま跡部の存在を忘れたように二言三言言葉を交わす二人は、会って数分のはずなのに随分と親しく見える。初めて話した相手だけあり、宍戸には心を許しているのかもしれない。そう考えた跡部は、口を挟まず何の気なしに二人を視界に収めていた。

「へぇ、テニス部入るのか! じゃあ部活仲間だな」
「ええ、よろしくお願いします。と言っても、マネージャーなんですけどね」

 実はテニスもやったことがない、そう言って笑う悠輝を見ていた跡部は唐突に違和感を覚え始めた。黙って二人の会話を聴いている内に、何を根拠に悠輝が宍戸に心を許していると判断したのか分からなくなってきたからだ。
 跡部は初め、自分に対してのみ負の感情を向けているのだと思っていたが、実際はそうではなく、悠輝はあらゆる生徒に対して冷めた感情しか見せていなかった。穏やかな声は親密さを表しているかに見える。だが、そこに楽しい、嬉しいと言う感情が存在しているのか。少なくとも跡部には全く感じられなかった。そう、全くだ。

(いくら俺が人より観察眼に優れているとは言え、微塵もそれに気付かないなんて、宍戸は警戒心がなさ過ぎるな……)

 跡部は焦りと苛立ちを感じたが、すぐに思い直した。普通は友人になった相手に警戒心を持つ方が可笑しいのか、と。

(桐生は何を考えているんだ……。その憎しみすら感じさせる心の奥には、一体何を抱えている?)

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